■ もう一度深みに漕ぎ出して / マルコ5:1~11
- マルコ5:1~11
- 2015年12月27日
- 読了時間: 4分
聖書からメッセイジを書くこと22年が経過した。 確かに聖書から書くのであるが、実際は目に見えない方(主)が書かして下さるのである。 それが分かっていても、ついつい毎週独り悩んでしまう。 恐らく、どうしても自分が書いているという潜在意識が消えないのであろう。 だから、イエスさまとの共同作業ということにしていただいて。。。と考える。
朝のガリラヤ湖は美しい。 まるで故郷の湖畔に向かい合った気分だった。 クリスチャンの心の故郷である。 朝の清々しい岸辺で漁を終えた漁師達が網を洗っていた。 しかし、その日は一匹の魚も獲れなかった。 ガリラヤ湖の岸辺、イエスを取り巻く群衆は彼に押し迫っていた。 イエスの語られる言葉を一つも聞き逃すまいとして。。。 願わくば教会の礼拝メッセイジだって、こうであったらどこの牧師も嬉しいだろう。
イエスは迫る群衆を見渡し、そこにあった小舟に乗ると岸辺から少し離れた。 それから脇で網を洗っているペテロを見やっていわれた。 「沖に漕ぎ出して、もう一度深みに網を降ろしてみなさい。」
つまり大工のイエスが漁師のプロに余計な口をはさんだのである。 ペテロは決して面白くなかった、と私は考える。 「素人が何を言ってるか・・」とさえ感じてしまう場面。 しかしペテロは周囲に群がる人々の手前も考えた。 内心文句の一つも言いたい気分であったが、ペテロは沖へと舟を漕ぎ出した。
私たちは自分の仕事に対しプロ意識を持っている。 当然である。 そして人間はそういう生き方をすべきでもある。 そこには自分のプライド、力量、キャリア、自信だって詰まっている。 ペテロは心の中で「先生、ええんですか。そんなこと仰って。まぁ見ていてください。。。。ただね、大勢の人もいるし恥をかかなけりゃええんですが・・・」と、私はペテロの心を想像した。
ペテロはふつふつと燃え盛る不満を腹に押し込んで、イエスの言葉のとおりに舟を沖へ漕ぎ出し、深みに網を降ろした。 すると、どうだろう! 魚のほうから網をめがけて次から次へ飛び込んでくるではないか! 直ぐに網は破れそうになった。 ペテロは仲間の漁師を呼んだが、互いの舟は沈みそうになった。 舟を岸に戻した彼はイエスに言った。 「主よ、私の様な者から離れてください。私は罪深い人間ですから。」 この言葉から、数十分前のペテロの心を量ることができる。
私の敵はサタンでも、他の誰かでもない。 私の敵は内なる自分である。
30年も昔のこと。 教会執事として働いていた頃だった。 ある日のこと、姉妹の父を見舞うことにした。 私は朝から心の準備をしていた。 ところが・・、である。 出がけに些細なことで妻と口げんかをした。 直後、病院に行く時間になった。 私は腹を決めた。 今日は止めだ! こんな気分で伝道なんか行けるもんか。
気分は大事である。 特に福音を伝え、イエスを伝える日など心が燃えていなければ。 第一、 男が腹を決めたのだから、そう簡単に気持ちは変わらないのだ。 すると妻が言った。「ねえ、病院へ行くんでしょ。行ったほうがいいと思うよ。」 これでまた腹が立った。(何を言うか。行くのは俺だ。こんな気分にしておいて、面白くもない。伝道なんか出来るか。)
だが、妻も引き下がらない。 そこで言った「行かないよ。今日はそういう気分じゃないから。」 こんなやり取りを暫くしていたが、結局重い気持ちを引きずって、渋々出掛けたのであった。 ひとり病院に向かう道すがら、気持ちは段々鎮められていった。 重病のお父さんの目は既に見えず、足の指はもげてゆく状況だった。 私は初対面の彼と話し、彼の人生の一部に触れ、イエスのことを共有できた。 私は彼に聞いた、「クリスチャンになれない理由ありますか?」 彼が答えた「ありません」
遂に導きが許され、彼はイエスをお迎えし救われた。 感謝と喜びの枕元で、私は「アメイジンググレイス」を歌ったものだった。 本当に嬉しい日だった。 来る時とは大違い、帰り道は主をたたえた。 そして思った。 「ああ、主の摂理ってこういうものなのか。人間の気分じゃない、ただ福音あるのみ。」
ペテロは網に飛び込んでくる魚を見て何を考えたのだろう。 彼は自分の心を見させられた。 素直になれない、曲がった心。 プライドと自負心の塊のような内面。 それらは目には見えない。 見えないが確かに存在している。 結果として分かったのは、イエスの聖なる存在と、己の罪深さだった。 恥ずかしかった、穴があったら入りたかった・・・・ 「主よ、私のような者から離れてください。私は罪深い者ですから。」
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