■ あなたのPOSITIONはどこ? / 創世記19:12~30 (2012-10-21)
- 創世記19:12~30
- 2012年10月21日
- 読了時間: 3分
キリスト者にとって最も大切なことは、自分のPOSITIONを知っていることである。 POSITIONとは位置、場所である。 つまりキリストに合い向かう自分の場所、自分の位置はどこか、である。 これが分かると何事につけても、素晴らしいことであり、価値ある人生をもたらす。 これが解からないばかりに、多くのクリスチャンたちに戸惑いが生じる。
アブラハムの甥のロトの話。 彼ら二人は故郷を離れて以来、ずっと行動を共にしていた。 しかし、互いの財産、しもべ達が増えるに連れ、別れて暮らすことが望ましい時が来た。 そのときロトは低地の潤った土地を選び、アブラハムは高地を選んだ。 低地には歓楽街、そして繁華街があり、多くの人々が集まっては世の賑わいを楽しんでいる様に思えた。 しかし、その町こそ結果的にロトが妻や家、財産のすべてを失うきっかけを含んだ町だった。 その町の「おぞましい趣味と」は、世の楽しみの域を超えて、獣でさえもせぬ汚い営みであった。
人間とは実に染まりやすく、脱しきれない生き物である。 ふしだらな色には実に染まりやすく、聖潔な色には馴染みにくいのである。 ソドムとゴモラの町、この世の一部の人間だけが楽しむ堕落に対し、遂に神のさばきが訪れようとしていた。 ロトはその町の近くにテントを張った、と聖書にある。 つまり、そこに生活の居を構えたのである。 彼はその町の本性を知ったとき、そこから遠のくことが出来た。 しかし、彼はそこに居続けただけでなく、やがてはその街中に住むようになった。
もし私達が霊的価値基準を持っているとすれば、ロトの様な行動は取らなかったであろう。 基準とは踏み越えることを恐れさせ、引き返すことを良しとするものだからだ。
この世はどこにでも「誘惑の巣窟」がある。 人はいつのときも、聖潔な判断と強い自制力を持っているとは限らない。 「誘惑」とは、人の心の隙間を狙って入り込んで来るものであって正面きってやって来るものではない。 それはやがて人生の歯車を狂わせ、やがては必ず崩壊へと導く。 人は崩壊に至ったとき、初めて自分の愚かな選択に気がつくのである。
正しい人生はつまらない、と感じるかも知れないが、実際は最も祝福のある人生となる。 主イエスと生きるなら、自ずと行くべき道を知るが、自分を主とする人生には守りも聖壁もない。 アブラハムが高地を選んだのは、ロトに選択の優先を与えた残り物だったからである。 神がアブラハムを守られた。 あの時点で彼は既に神の祝福を選び取っていた。 人間的視界には荒れた高地より、栄えて見える低地が価値有ると思える。 しかし、その価値観の基準をキリストにリセットすることが出来るならば、既に勝利を得たと確信すべし、である。 POSITIONを悪魔のために、移ってはならない。 生涯における後悔をせぬために。
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