■ 神を信じなさい / マルコの福音書11:11~22 (2009-09-27)
神を信じなさい、とイエスは言われた。 33歳で十字架につけられたイエスの全人生。 父のヨセフを亡くしたイエスは、30歳まで母と兄弟を農機具大工の仕事に汗しながら、養った。 だからイエスは私達が汗して仕事に明け暮れる苦しみを知っておられる。 彼の公生涯は死ぬ前のたった三年間であった。 その3年間、イエスは数え切れない天の御国のお話と、不思議な奇跡をされたが、イエスが私達に伝えたかったことは、ただ一つ、「神を信じなさい!」であると思う。
神を信じなさい、とは、人は先ず神だけを信頼しなさい、である。 人間はその様に造られているからだ。 神を信じて生きるところに、平安も生き甲斐も見つかる。 しかし、神から離れて生きるなら、不安と崩壊の人生が横たわっている。
人は人生で三つのチョイス(選択の場面)に出会う。 自分か神か? 金か神か? 命か神か?
通常のクリスチャンは「自分か神か?」の出会いにおいて、試される。 それも生涯を通して、この選択を自問自答する。 信仰が理想への教えであったり、理念であったり、モラルであったりする時期がある。 しかし、多くの部分で自分か神か?にぶつかり、そして躓く。 自分の内側に見えはしないが、巨大な怪物に出会う。そして挫折もするだろう。 やがて気づくことは、十字架において自らが死なない限り、その怪物に悩まされ続けることである。 だから、パウロは叫んだ。「私はキリストと共に、十字架で死んだ。」と。
この世は突き詰めるところ、やはり金である。 金だけが人生ではない、と多くの人が言うが、生きるところ、殆どに金が付き纏う。 クリスチャンの大勢が、この対峙に非常な葛藤が伴う。 そして、人間の内面に存在する醜いものが、自分の中にもあることを知り、愕然とする。 だから本当に少数の人だけが、このチョイスで勝利を手にした。 「宝は天に積みなさい。」出来そうで出来ないイエスの言葉である。 「あなたの宝の有る所に、あなたの心があるからです(向く)。」 宝が多ければ多いほど、神への信頼度は薄れる。 神も金も現実の中で、私達の心を捉えるからだ。
命か神か? 私が問うのは病気で死ぬことは除外してのことだ。 事故や遭難に出くわしたとき、死んでしまうかも知れない人の代わりに、命を投げ出せるか、である。 「人がその友のために命を捨てること以上の愛はこの世に存在しない。」とイエスは言われた。 1954年、青函連絡船の洞爺丸が台風により沈没し、1155人が犠牲となった。 この洞爺丸が沈没する間際、二人の宣教師は、救命胴衣を着けていない若者に、自らの救命胴衣を渡し「あなた方は若い。日本のために役立つ機会がいくらでもある。」と言い、大声で学生のために祈り叫んで波間に消えた。
神を信じるのは容易い。 しかし、生きる生の現場で神を第一とすることは誠にきびしい。 腹をくくり、人生を賭して、神への信頼を深めて行かねばならない。