■ 聖霊は助け主 / 使徒の働き1章3~8節 (2009-05-31)
今日はペンテコステの日、すなわち五旬節である。 ユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」から数えて50日目であるが、キリスト教会においては 「聖霊」が弟子たちに下られた記念すべき日である。 聖霊の働きなくして、誰一人「イエスを主と告白」することはない。 聖霊はイエスが約束された助け主である。 クリスチャンの信仰、歩み、人生、証し、聖書の解釈、主に従うこと、これらすべての場面で私達を助けてくださる神の御霊である。
聖霊は声無き声をもって、私達の内側に語られる。 そして、私達は無意識のうちに聖霊に従ったり、反発したり、背いている。 その時点では意識せずとも、後になって理解できるのだ。実に不思議である。 聖霊は別にクリスチャンだけに働くわけではない。すべての人に働かれる。 但し、世の人たちがきづかないだけである。
聖霊はいつもキリスト信者と共に生きてくださる。 しかし、私自身が強いとき、聖霊は働かない。働けないのかも知れない。つまり、聖霊は誠に謙遜な方である。 私が神さまの前に弱いとき、聖霊は実に力強い。 私が主を信頼したとき、聖霊は大胆に働かれる。 この相互関係を私達は知るべし、である。 聖書第二コリント12:9はこう言っている。 主は言われた。「わたしの力は弱さのうちに、完全に現れる」
私がキリストを信じて31年。聖霊は確かに私と共に歩んでくださった。 この方抜きで、信仰の人生など語れない。 辛いとき、孤独なとき、戦いのとき、いつもこの方に大いに助けられた。 神学校に通った5年間、毎日が葛藤の日々であったが、聖霊は決して手を抜かず?助けてくださった。 そして牧師として15年、聖霊はいつも助けてくださった。 牧師を辞めたい、と持ったとき、聖霊は私を砕き、聖書の言葉を導いてくれた。
一年で52週、つまり52回のメッセイジを助けてくれた。 52回×15年=780回のメッセイジ。70回のプラス・アルファがあるとして トータルおおよそ850回。 そして15年間、牧師を支えてくれたのは聖霊なる神である。聖霊の助けなくして、我無しである。 私にとって実に頼れる助け主。砕いて言えば最高の相棒。素晴らしい相方。かけがえの無い存在。 だが、彼は実に謙遜であるから、決して自身を人目に晒さない。今からも私は彼と生きる。
そして、あなたと共に生きてくださる方。 たとい死の陰の谷を歩くときも、彼はあなたを見捨てない。