■ アドベント2・苦しみの場所で救われる / エレミヤ書29:1~14 (2008-12-07)
- エレミヤ書29:1~14
- 2008年12月7日
- 読了時間: 4分
アドベント2週目のテーマは「希望」。 クリスチャンの目線の中には、いつも希望がある。見え隠れするときもあるが、決して消えない。希望は二つある。 一つは天国に行ける希望であって、これに関しては揺るがない。神さまが約束されたからであるし、イエスさまを通して、信ずる者は天国に行ける。 もう一つは地上においてのものであって、各人が異なるであろう。 そして、この場合、奇跡が伴う必要があるが、主は奇跡を起こされる方だから、希望は決して消えない。
紀元前593年頃、ユダヤに国の滅亡が迫っていた。民の中でも多くの有能な人たちは既に北の帝国バビロニアの捕囚となっていた。 その人々は故郷のシオンを想い、朝に夕に自国がある南の空を眺めては涙を流していたと思われる。 ここに当時の彼らの心を思わせる歌がある。 詩篇137編1から・・・ バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。 その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。 それは、私たちを捕え移した者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、興を求めて、「シオンの歌を一つ歌え。」と言ったからだ。 私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか。
しかし、神が立てられた預言者エレミヤは、北の同胞に向かって主からの言葉を伝えた。 エレミヤ書29章10節から・・・ 「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。 それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
我が身を思うたび、辛くなる。何故、我々が故郷から引き離され、異国の地で生きねばならないのか。 異郷の地に骨を埋めなければならないなら、いっそ今、死んでしまおうか、と思ったであろう。 思えば思うほどに、故郷が恋しくなるのである。
今も北朝鮮に拉致された同胞が苦しんでおられる。 『あの山の向こうに海があり、その先に故郷の日本がある。 そして父や母が、家族が住んでいるのに、どうしても渡って行けない・・・』
しかし、神さまは捕囚の人たちに希望の言葉を送られた。 「やがて時至れば、必ず故郷に帰ることができるのだ。 だから、希望を持って、神を信じて生きよ。 わたしはあなた方のために、計画を持っている。それは災いではない。あなた方に将来と希望を与えるものだ。」
私達は苦しみの向こうに希望があると信じる。 確かに時間の流れから行くとそうである。 しかし、苦しみの地でしか得られない希望もある。 もし、そうであるなら、苦しみは単に苦しみではなく、希望を包含しているものとなる。 見よ、いかに多くの人たちが、試練の谷底で救い主に出会ったか。 彼らの人生において、そこでしか遭遇できないイエさまである。 そして、そういうところでしか、心を開けない私達人間であるからだ。 そこに、全知全能の神さまの摂理があるのだと思う。
アパ・ルームに掲載された証し・・・ 35歳、一人の男性は自己中心的でプライドが高かった。 すべてにおいて、我が身の正しさを主張して生きておられた。 しかし突然、彼を舌癌が襲った。あごの骨を削り、舌を半分切られ、扁桃腺とリンパをも切りとられた。 術後の痛みと苦しみ、将来を思うところに希望など微塵も見えない。 生きていること自体が苦しみであった。
しかし、彼の妻は祈っていた。そして夫にこう言った。 「イエスさまを信じて、これまでのことを神さまに赦してもらいましょう。きっと、神さまが道を開いて下さいますから。」 彼は言われるままに祈った。すがるものは、もはやこの世にない。 そして言葉を発せない、言葉にならない呻きの祈りによって、彼の枕を涙が濡らした。
彼はこの世の地獄で救い主に出会った。 痛みと苦しみの谷で、イエスに出会った。 今は傷も癒え、教会の礼拝で奉仕もしておられるとのこと。 中島淳元兄、定年で警察官を退職された方。
人生、生きるところは悩みがつきもの。先など見えようがない。心配も尽きない。 しかし、将来を知っておられる主を信じている。 どんな試練がやって来ようと、希望を備えてあなたを待つイエスを信じる。 私の神は決して私を見捨てない。この世の地獄の底からでも、引き上げてくださる方だ。 夢ではない。まさに希望である。
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