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■ アシュラム / ガラテヤ人への手紙2:20 (2008-10-12)

今年も教会アシュラム(祈りと聖書の言葉の前に静まる集会)が巡ってきた。 ひたすら、聖書から主の言葉を聴く。 日常の生活と環境から離れて、主の前に静まる。

教会でこの様な集会が持てることは実に恵みである。 分かち合いとは、お互いによく知り合った者同士には難しいものがあるが、敢えて自分たちの心を分かち合える関係は、イエスさまがくださった所に立てば、可能である。 一泊二日は短い時間であるが、いつもの会堂を離れて共に時間を過ごすところに、新鮮なものがある。 その場でなければ味わえないものが多い。主がくださった兄弟姉妹だからである。

この集会は実に地味である。 祈りと聖書の言葉だけに留まる訓練の一環だからである。 しかし、神さまの招きに応じて決心し、立ち上がって行くときは、誰に相談したり、アドバイスを受けたりよりも、自分とイエスの間だけの応答から生まれるべきものである。 主との1対1の関係で立てられた契約、招命こそが、揺るがない将来へとつながる。 人の言葉でなく、神さまの言葉を信じ、導かれることこそ、すべての不安に打ち勝てる信仰の基盤である。 人は「いざという時」、たった一人で神の前に立たされるのだから。

静聴・・・ 一人静まって、神さまの言葉を聴く。聖霊が仲介してくださらねば、聴けない。 主が今、自分の前に立ってくださらねば、聴けない。 イエスが今、私の霊的耳と、魂に触れてくださらねば、聴けない。

1986年7月31日昼12時半頃、神さまのみ声を聖書から聴いた。 あの日に聴いていなかったら、牧師という今の私はいない。 生涯で一度だけ、特殊な時間が、その日であった。 その日いつもの様に何気なく読んだと思った言葉であったが、いつもの感想ではなかった。 確かに聖霊は、耳に聞こえない声で、私に囁いた。 『わたしがあなたを招く。 私があなたを立てる。 だから、わたしを信じて今からを生きなさい。 そうすれば、わたしはあなたを宮(教会)に仕える者とするのだから。』ゼカリヤ書3:7

この日から、私の聖書観は変わった。 思考する方向性が、私を悩ませ喜ばせ、恐れと勇気が入り混じった日々は終わらなかった。

そして、1989年4月、神学校へ入学した。五年という長い道のりと葛藤の始まりであり、見えない神さまを見ながら生きる時間が始まった。 ただ一つ、私の中に刻まれたゼカリヤの言葉だけが、私の支えだった。 3:7 「万軍の主はこう仰せられる。もし、あなたがわたしの道に歩み、わたしの戒めを守るなら、あなたはまた、わたしの宮を治め、わたしの庭を守るようになる。わたしは、あなたをこれらの立っている者たちの間で、宮に出入りする者とする。

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