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■ ノアその7・契約のしるし / 創世記9:8~17 (2008-09-14)

  • 創世記9:8~17
  • 2008年9月14日
  • 読了時間: 3分

温暖化現象の一つではかった。 創世記、ノアの時代の大雨と洪水の意味である。

天と地を造られた神さまは、この世界を全く新しい世界、つまり自己中心的な人間や、利己的な人間を一掃して、正義と清さを求める人間界を造ろうとされた。だから、地のすべてが呑み尽くされた様な、未曾有の大洪水が起こった。創造主の目的のとおり、地上の生き物はすべて死に絶えた。ノアの箱舟に入った生き物以外は・・・

そして、新しい世界が始まった。すると、どうなったか? 地上の人間は再び、以前と同じ人間世界を築いた。 創造主の言葉はそれを憂いておられる。 『わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。 人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。 わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。』

舟から降りたノアと家族に主は大きな虹をかけて祝福された。 『わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。』

創世記において、虹は神の契約のしるしであった。 それでは、新約時代において、新しい契約のしるしは何だろう。 それは「聖霊」である。 キリストを信じる一人一人に神が送られた助け主なる、聖霊である。

私達は聖霊によって「イエス・キリストは私の主である」と告白できる。 聖霊の導きによって祈りがあり、聖書の言葉を理解する。 聖霊の助け無しに、私達は信仰を守ることは出来ない。 心に聖霊を意識しているかどうかの問題ではない。 信徒には必ず聖霊の助けがあるからだ。 論議がなされる点は「異言」の問題であるが、聖書で読むなら、異言は聖霊が下さる「賜物」である。 下さるのであるから、貰わなかった人もいる。 貰わなかったのだから、貰えるまで尚更求めると言ったものではない、と思う。 私にはその賜物が無かったが、別の賜物があったから、それで十分と思っている。

教会によって解釈の違いはあるが、「聖霊に満たされる」ことにより、何が起きるだろう? それは陶酔状態とか、涙を流して叫ぶとか、床をのた打ち回ると言ったような、超常現象ではないと思う。 確かに聖霊が触れてくださったのであろうし、その人の内側を揺さぶったのであろう。

しかし、神は人間の内側に混乱来たす方ではないと思う。 「聖霊に満たされる」とは、「自分が無くなる」ことだと思う。 「自分を見失う」のではない。自分が小さくなってどこか隅におり、神さまが自分を凌駕することだと思う。 そこには「私が、私が」とか、「私は」は無くなって、『主が、先立ってくださる』のである。 その聖霊さまこそが、神がくださった、「救いの契約のしるし」である。

アパ・ルームに南アフリカのクリスチャン女性の証が掲載されていた。 幼くして両親を失い、施設に入れられた。 やがて成長すると、数度の地獄が彼女を襲った。レイプである。 そして年頃になって彼女はエイズ患者であることを知った。

神さまはあまりに遠くて、私を救ってくださらなかった・・・ それでも彼女は教会に通った。 聖霊は彼女を導き続け、彼女は神に従った。

ある日、礼拝のメッセージで、彼女は神の摂理を知った。 そして、自分の人生を振り返ったとき、思わず神に感謝した。

「私には今も生きている時間がある。 私にはこんなに可愛い孫がいる。」

彼女は大きくて消えない傷を見続けるのではなく、小さい幸せを通して、神を信じている。 これが神の摂理であろうか。 そうとしか思えない。

そういえば、イザヤ書の言葉があった。 『彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、 まことをもって公義をもたらす。 彼は衰えず、くじけない。』 アーメン

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