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■ ノアその3・あなたはわたしの前に正しい / 創世記7:1~5 (2008-07-20)

  • 創世記7:1~5
  • 2008年7月20日
  • 読了時間: 2分

Ark・・・英語では「箱舟」と言わない。アークと呼ぶ。 但し、ノアのアーク、と言う。Arkとはドデカイ平底船とか、不恰好で大きい乗り物とか、「大きくて変てこな家」とも言うらしい。 しかし、arkの意味は「安全な避難所」が最も相応しい。

ノアと家族は100年近くもかかって、その箱を作った。来る日も来る日も、作業は続いた。 それはちょうど、私たちの信仰生活を建築する日々のようだ。 悩む日も、呻くような日も、それは続く。涙して、祈ることが出来ずとも、それは続く。 完成が目的と思えずとも、今日を神と生き、キリストの愛の故に生きる。

人は元々、自分の道を生きる生き物だ。正しいと思いつつも、正しくなくとも、正しいと思い込んで進む。ノアの時代の人々も同じである。 だが、問題は自分が云々ではなく、神さまが見てくださったとき、「正しい」と言われるか否かだ。 創世記7章1節 主はノアに仰せられた。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。」

ノアの物語に、いわゆるノア自身の言葉が書かれていない。 だが、聖書を読んで感じたことは、「これはノアの証しではないか」ということである。 私が何をして、どう生きたか、ではなく、神が何をされ、何を導いてくださったか、を語るのが、神の証人たる私達の任務と思う。教会などで話すときも、誰かに伝えるときも、私はキリストの証人である、という認識を自覚したいと思う。

ノアは人間社会が創造主から離れ、自分勝手に生きていた時代背景に生きた人だ。 だれも彼もが、好き勝手に生きていた。誰一人、主のみこころを考える者はいなかった。 そういう人々を見ながら、ノアは心を痛めたであろう。 彼の時代の人々が滅びることなど望んではいなかったであろう。 箱舟造りを嘲笑し、気違い扱いする人々を、彼は心の中で哀れに思ったことだろう。 彼は思いを創造主の前に、注ぎ出して祈り、とりなしの生贄を捧げたであろう。 すべて「で、あろう」と仮定形で括ったが、それは次の聖書の言葉が代表している。 『しかし、ノアは、主の心にかなっていた。』創世記6章8節

「主のこころにかなった人生」、そういう人生を送りたい、と思っても、出来ない。 出来ないどころか、更に遠のくような気がする。 それでも、私が神から離れないでいるのは、神が私をあきらめないからだ。 それ以外に無い。

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