■ 何が悪くて何が良い・・・ / ローマ人への手紙14:13~23 (2007-11-25)
最近の出来事、お二人の生き様からあらためて人間を考えた。 そのうちの一人、89歳になった彼女は、社会の子ども達の教育に使って欲しいとの思いで、何と10億円を現金で寄付した。文字通り札束の山であった。これを基金にして、国債?であろうか債権を買い、その利息、年間で数千万が子ども達の教育に使われるそうだ。素晴らしい、と思った。 彼女は数年前にも別の自治体に5億円を寄付した。 かと言って、彼女の生き方も生活も質素、そのものである。だが、崇高な精神の持ち主であった。彼女のお金に対する、その哲学は誰もが真似できるものではなかった。そして、そんな人間ししたのは、彼女の両親の、これまた崇高な子ども教育であった。
もう一人は89歳のおじいちゃん。 彼は為替の売買で13億円の利益をあげた。これまた凄いものだ。 しかし、彼は税金を払うことを拒み、申告しなかった。そしてそれが発覚し、書類送検された。彼とて、人様の金を盗んだわけではない。よほど子孫にお金を残したかったのか・・・しかし、法律に背を向けたことは事実である。 ちなみに、先のおばあちゃんは、子孫に金を分け与えることは徹底して拒んだ。
何れも89歳、おまけに半月足らずの時間の中で起こったことだった。 人は各も高尚なる生き方ができ、そして生々しい所にも生きられるものだと思ったが、高尚なる人生は、自分に向かい会わずして送れない。人間を愛しつつも、本当に人のためになることを求めている。 高い視点に立って、人と世の中を考えるとき、果たしてそうなれるのだろうか、と思った。 果たして生臭いほうに傾きそうだ。 だが、89歳も63歳も残された時間のことを考えると何とも複雑になる。
人はたましいだけの存在ではない。人は霊的な生き物である。 「人間は考える葦である」とパスカル先生は語られた。さすがだ。 霊性は人に悩みも教え絵つつ、喜びも与える。この世の命の限界に悩みつつ、永遠に思いを馳せる。悩むからこそ、答えに導かれる。 死を霊的に捉えるからこそ、人は宗教を求める。永遠に勝てる対象はない。永遠があるから今を生きられる。永遠を思いながら、この世の試練にも耐えられる。
そういった生き方を無視し、今だけを楽しむことを求める。人の痛みなどどうでもいい。これは魂と体だけの行き方である。 そして昨今の日本社会が病んでいる証明がここにある。 文化と風土だけでは、人の霊性を守ることも、高揚させることもできない。 創造主に帰ることこそ、人は霊的に生きるものとなる。
そこでクリスチャンのために三つのことを確認したい。 1、自分と神さまとの関係を確立しなさい。 2、主と主のみことばに出会いなさい。 3、主だけを信頼しなさい。 これが柱であり、土台である。この上に人生を築くところに、自分を愛し、他者を愛する人間となる。 非常にシンプルである。それは日々の小さな取り組みであり、そして大きな結果をもたらす。創造主が共存してくださるからだ。