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■ イエスが福音! / ローマ人への手紙2:16~29 (2007-01-28)

  • ローマ人への手紙2:16~29
  • 2007年1月28日
  • 読了時間: 3分

福音は理論ではない。勿論、思想でもない。そして宗教でもない。 福音はイエス、である、と聞いて「な~んだ、やっぱり宗教か」と思われるだろう ところがどっこい、宗教ではない。宗教は、その宗教が求める生き方を見習えば、ご利益がやってくる、と教える。だが、イエスは違う。どこが・・・?

イエスが私と生きてくれる。これが福音だ。私がイエスと生きるのではなく、彼が私の傍に来てくれて、一緒に歩いてくれる。一緒に考え、悩んでもくれる。だから福音なのだ。 クリスチャンになって暫くの間は、当然のことながら悩む。それは、どうしても自分で頑張ってしまうからだ。表面をつくろい、「らしく」生きようとする。しかし、取って付けたようなものが、長続きする筈が無い。そして疲れる。投げ出す。そして辞める。 日本人はある意味、真面目なのだろう。修行したいのだ。勉強したいのだ。そしてステップアップできると勘違いしているのである。だが、これは福音ではない。昔からこの国にあるところの、いわゆるそんじょそこらに転がっている宗教なのだ。

忘れてはならない。イエスが福音であって、彼が一緒に生きてくれるから福音である。自分でキリスト教をイメージする必要はない。イエスと生きることだけ考えればいい。共存共栄、これが福音である。

大分以前、大企業の会議に取引先の中小企業の経営者が呼ばれ、何回も聞かされた言葉。 それが「共存共栄」であった。大企業は下請け企業に声高々に言う。 「皆さん、今は厳しい。大変な苦労をしている。だが、いつか躍進し、成功し、多くの利益を手にする時が必ず来る。そのとき、我々は共に喜びを分かち合うのだ。だから、今こそ目の前の荒波を共に乗り切って、一致協力と共存によって未来を掴もう!」 だが、大企業が成功したとき、合理化のために殆どの下請けは、一言の元に切り捨てられた。これが、世に言う共存共栄である。

ローマ10:11はこう言う。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 誠であろうか?時として、疑ってしまう。 しかし、よく読むとこう書いてある。「彼に信頼する者は・・」 だが、私達はそこまで信頼していない。聖書が言うのは、「信頼しきる」ことであって、大体とか、おおよそとか、まあまあではない。信頼し続ける、信頼しきることだ。 初めか、ろくすっぽ信頼していなかったら、期待を裏切られても当然である。 期待していなかったのに、裏切られたという発想自体に問題がある。

あなたがイエスを信じます、と言ったとき、イエスはあなたを信頼しきってくださる、と私は思う。神は誠実で、御自身を否むことが出来ない、とテモテへの手紙に書いてある。 そういう次元でローマ10:11の言葉があるのだ。私達人間の、曖昧な世界の曖昧な生き方を主体にして聖書は宣言していない。真実と正義の神は、イエスが寄り添ってくださるところの私に向かって、語っておられるのだ。私の傍らにおられるイエスの真実ととりなしによって、私を真実、誠実、と見てくださるのである。だから、イエスが福音である。

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