■ クリスマス・一つの従順が世界を救った / ルカの福音書1章26~37 (2006-12-24)
アドベント4週目、イエスの母マリヤを現すキャンドルに火が灯る。
彼女の従順が人類を救った、と言える。 神は長い時間、マリヤを待っておられた。清純で心貧しく、誠実な処女であった。 仮に、マリヤが主に背いて拒んだら、神はどうされたであろう。別に神はどうもされない。マリヤは拒む筈がなかったからだ。神の御眼は決してたがわない。
そして、マリヤを選んだ神の熱心を思う。 御使いが処女のマリヤに男の子の誕生を告げた。「その子は大きくなり・・・やがてこうなる」と断言した。そこには当然ながらマリヤの恐れと迷う心がある。だが、御使いは一方的に語り続ける。彼女に選択の余地はなかった。否応なく、マリヤはその御告げを受け入れるしかなかった。主を愛し礼拝する少女は、その従順性において選ばれたのである。
そして彼女は御使いに向かって言った。 「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」 この告白が神の救いの計画のスタートとなった。
榎本保朗先生は「垂直と平面」という表現で、信仰を語っておられる。 神はメッセージ、聖書の言葉、色々なことを語ってくださる。聞く私達は上、つまり垂直に聞いたのであるが、応えるためには垂直に向かってせねばならない。平面、つまり水平ではない。人間の生きている世界は平面である。垂直の世界から、みことばを聞きつつ、平面方式で答えることは出来ないし、意味もない。垂直には垂直方式の応答が求められる。 そうでなければ、信仰によって生きる、などと言えよう筈もない。垂直の道理が通用しないこの世で、垂直の生き方をして尊敬などされる筈も無い。気違い扱いは当然である。だが、信仰するとはそういうことなのである。
私達の教会がようやくと隣地の購入がかなった。それは多くの人が垂直の応答をしてくれたからだ。平面の世界を見れば、お金は大切だし、勿体無い。私が出さなくても誰かがいるだろう。ましてや、今までやって来たのだし、無理をして大金を集めなくても、礼拝は出来る。この先、どんなことが起こるか分からないのだから・・・・これはすべて神無き世界である。神を見失った世界でもある。
マリヤへの告知が終わり、御使いは去る前に言った。 「神にとって不可能は一つもありません」 不思議なる神の世界、創世記の一章からそれが分かる。なのに、何故今更繰り返すのか? しかし、解明した。神が聖霊の力により、人間の処女に身籠らせると言ったことは創世記の昔からなかったことである。まさにこの世が始まって以来、空前絶後の出来事なのであった。マリヤの体に宿った男の子、彼によって私は救われた。クリスマスの不思議は最後のキャンドルを待っている。一本の白いキャンドル、御子の誕生を告げる灯り。 その子にまつわる可憐で清純な乙女マリヤの従順が輝く。一つの従順が世界を救った。
そして、あなたの従順が家族を救い、友人を救う。 「神にできないことは一つもありません」神があなたを指名し、あなたを用いられる。神は長い間、あなたを待っておられた。もし、あなたが断るなら、神は別の器を捜すだろうか?否!神はそれをされない。あなただけが、それを出来ると、主は確信されておられる、と思う。