■ 隣り人へ世界へ福音を / マルコの福音書3:13~19
12月、クリスマスシーズンですが、世界へ派遣されている宣教師たちのことを覚えます。殆どの宣教師たちは故郷でクリスマスを迎えることなく、神から示された宣教の地で故郷の家族を思いつつ、過ごすのです。私達も彼らを覚えて祈ることができます。「神さま、どうか僻地や危険な地域で、あなたの福音に使える宣教師たちをお守りくださいまあすように。言葉や国民性のギャップを超えることができますように。危険や病気から守られますように。そして何よりも、彼らが神さまからの召命感を失わずにいられますように。」
聖書は言います。「イエスはご自分のお望みになる者達を呼び寄せられた・・」この言葉は12弟子たちのことですが、主は今も私達を呼んでくださいます。それも、「ご自分がお望みになって・・・」です。私達はまずこのことを覚えるべきです。私が望んだのではなく、主がお望みになられたのです。だからこそ、今この時も神さまへの奉仕につかせていただいております。奉仕に疲れたとき、私達はもう一度、このみことばを思い出したいものです。
聖書は更に言います。「・・・そして彼らはイエスのみもとに来た」しかし、弟子達の顔ぶれを見ると、現代とはずいぶん違っています。殆どが無学な者達でした。漁師が殆どでしたし、信用度の低い者もいました。大学を出た者や、神学校を卒業した人などいなかったのです。しかし、大切なことは、「イエスが呼ばれ、彼らがイエスのみもとに来た」と言うことです。彼らは呼ばれたことを自覚していました。自分の思いでやってきたのではなかったのです。きっと、宣教師たちも同様だと思います。そうでなければ、人生を見えない神に賭けることなど、出来ないと思うのです。
そして私達には必ず隣人がおります。その隣人にどうやって救い主を伝えられるのか、悩んだり祈ったりしているのだと思います。難しいですね。でも、難しくしているのは神さまではなくて、自分なのかも知れません。本当はもっと単純なのです。月を見てください。この頃は寒くなり空気も澄んで来たので、輝く月を見ることが出来ます。でも月は自分で輝く光を持ってはいません。太陽の光を反射させているだけです。ここにヒントがあります。私が輝くのでなくイエスさまの光を反射させることです。しかし、人間の本能でしょうか、どうしても自分の栄光を気にしてしまいます。知識も知恵も自分なりに欲しい・・・とどまるところなく、です。そうです。思い切って、月になりましょう。そうすれば、主があなとをとおして輝いてくださるのです。