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■ 「神の優先」 / マルコの福音書2:1~12

イエスがお話をされている家は人々でいっぱいになり、戸口まで溢れておりました。体の自由が効かない男性が、4人の男に寝かせられたままで運ばれましたが、とてもイエスの所まで行けません。彼らは考えたあげく、その家の屋根に上ると屋根をはがし、なんとイエスのおられるあたりへ寝台ごと吊下ろしたのです。日本では考えられないことですが、建物の構造が違うので、可能だったのでしょう。しかし、本人も四人も必死で「なんとかイエスの所へ」という思いがそうさせたのです。

吊り下げられた男を見てイエスは言われました。「子よ、あなたの罪は癒された!」 これを聞いて、本人はもとより周囲の人々もビックリしたことでしょう。それは想像できないくらいの、チグハグ?な言葉だったからです。彼らは罪が赦されたくて、屋根をはがしたわけではないのです。痛みと不自由な体からの開放を願ったのです。おそらくキョトンとした顔が想像できます。しかし、人々の中で律法学者達は心で呟きました。「・・この人は神を汚している・・神以外、誰が罪を赦せるのか・・・」彼らの思いは正解でしたが、イエスの神性を見抜けなったことでは、あの4人の男たちに及びもつかなかったのでした。 学者たちの心を見抜いたイエスは、「わたしが地上で、人間の罪を赦す権威を持っていることをあなたがたに知らせるために」と言われ、病気の男に向かって、「あなたの床をあげて、家に帰りなさい」と言われると、彼は寝床をたたんで家に帰りました。

この箇所は私達に神の優先されることを教えています。と、同時に人間が求める優先は、神さまと違うことも学びます。私達は当然ながら、体の癒しを第一に求めます。しかし、神の優先は、人がその罪から救われることなのです。しかし、クリスチャンになっていても、病気と闘っている人はたくさんいます。神は二番目を無視されているのでしょうか?いいえ、神は無視されませんし、私達の祈りも聞いて下さっているのです。信仰生活で一番、神さまが分からなくなる部分だと思います。しかし、覚えましょう。ご自身の愛する一人息子を十字架につけ、私達の身代わりに殺すほどに、私達を愛しておられる方は、病を与えると同時にその病さえも益としてくださる方であることを。ただ、私達には「その益」が何であるか、今は分からない故に苦しいのです。

人の罪を赦すことと、病を癒すことのどちらが神にとって、難しいのでしょう? 今日の聖書はそれを明確に語っております。神にとって最も難しいことは、人間の罪を赦すことです。そして、それは現代も同様と思います。何故なら、イエスを受け入れる決心は、あなたの決断にゆだねられているからです。神はすべてがお出来になりますが、あなたがイエスを拒む限り、神は救いのわざをあなたの上にされないのです。

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