■ 今だからすべきこと / マタイの福音書24:35~44
今だからすべきこととは、後になっては、その価値もないし、意味も持たないから、です。この世に生きる今だからこそ、神への信仰が求められます。天国に入ったら、信仰など必要ありません。そこは神の国であり、神の完全支配。罪もなく、闇もない。病気も憎しみもない。神の愛と栄光が満ちていると、黙示録は語ります。
イエスは言われました。「この天と地は滅び去る。しかし、わたしの言葉は決して滅びることがありません。」そうです、私達はやがては滅び去る世に生きています。この地上、それがあたかも永遠であり、この世が終わりなら、すべての終わりという見方です。人間はこの不安のために、沢山の偶像、神々を造りました。しかし、滅び去る地の人間に、永遠への道が開ける筈がないのです。
聖書は私達に向かって、今だから出来ること、為すべきことをしなさい、と言います。イエスのメッセージは「神の国が近づいたから、悔い改めて生き方を神に向けなさい」です。「草のように枯れ、花のようにしぼんで行く、人間の命なのだから。」「永遠に立つ神の言葉」に人生の価値を見つけなさい、と言われます。
ある晩、私が夜遅く事務所に帰りました。部屋の照明をつけると、3匹のゴキブリが私が食べたランチボックスを前にして、「どうしたらこの美味しそうな匂いのする箱に入れるだろう?」と、あたかも相談しているかの様子でした。彼らはその部屋の主人が「まさか夜中に来る筈がない」と信じなかったのです。そして、イエスが語られたのは、ちょうどそのことです。何時か分らないが、神の裁きが必ずくるのだから、その心構えをして生きなさい、と聖書は言うのです。道徳倫理、正義と人間性の為に聖書が書かれたのではありません。神に帰り、神に向かうためなのです。
デイリー・ブレッドと言う小冊子に載っていたお話です。 幾人かの男達が旅をしていた。ある晩、彼らは声を聞いた。声はこう言った。「今、お前たちの足元にある小石を拾って、ポケットにしまいなさい。その石はお前たちのの喜びであり、そして悲しみとなるであろう。」男達は適当に小石を幾つか拾い、ポケットに入れ朝までそれを見なかった。朝陽が昇った時、彼らは小石を見ると、なんと!それらはルビーやダイヤモンドだった。彼らは思った。何故、もっと拾って来なかったのか。地を蹴って悔しがった。
今、生きている時間の世界の価値観だけに目を奪われず、見えない創造主に思いを馳せることは、最も知恵ある人間、と聖書は言います。「あなたの若い日にあなたの創造主を覚えよ」と、伝道の書は言います。あなたを待つのは永遠の神の国でしょうか?それとも永遠の滅びでしょうか?あなたの心に何をもってしても埋められない空間があります。それはあなたを造られた神が入る場所なのです。やがて来る神の国の朝、しなかった事を悔やむことのないように。