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■「この弱き者、小さき者、欠けある者」 / 士師記6:1~23

  • 旧約聖書/士師記
  • 2004年7月25日
  • 読了時間: 3分

「その頃、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」 この言葉は私の脳裏に強く印象づけられました。そうです、私たちの国、愛する日本、そして私たち日本人にピッタリの言葉と思いませんか?王がいない・・そうです。天皇も首相もいますが、精神的支柱、倫理道徳の根幹となる考え方と教え。つまり、人間の内面に真理をもたらす王がいないのです。国にも、人にも、です。これがこの国の病気の原因です。

ミデヤン人は非常に多数で強く、イナゴの大群のようにやって来てはイスラエルを悩ましました。イスラエルはなす術もなく、逃げ惑っていましたが、振り返れば彼らが創造主から離れ、目に見える偶像に頼り快楽を求めたからであったのですが、このへんもどこかの国と似ています。神は一人の若者に目を留め、彼を召し出そうとされました。それがギデオンと言う若者でした。皆さん、ホテルなどで机の引出しに入っている聖書にギデオン協会という印がありますが、この名前の由来は彼からのものです。彼は敵から逃れ、失望の内に小麦を脱穀していた、敗残兵でした。

神はギデオンに声をかけます。「勇士よ、主があなたとおられる」。ギデオンは驚きます。そして、答えました。「ああ、主よ。もし主が私たちとおられるなら、どうしてこんなことになるのですか?」 ここに注目すべきものを見ます。一つは、主がギデオンを「勇士」と呼ばれたことです。何故、敵から逃れて麦を踏んでいる兵士が勇士なのか。でもキーワードはその次の言葉です。「主があなたと共におられる」。イエス・キリストが誕生する前、御使いは言いました。 「この方はインマヌエル(主が私たちと共におられる)と呼ばれる。」そうです。主が私とおられるから、私は勇士なのです。だれであろうと、勇士なのです。それはその人の力ではなく、神が戦って下さるからです。使徒パウロは言いました。「私は私を強くして下さる方によって、どんなことでも出来るのです。」だから、イエスを信じる者は誰でも皆、勇士となれるのです。 そしてギデオンは言いました。「ああ、神、主よ・・・」これは嘆きの言葉の前に置かれた神への呼びかけです。でも、言い訳であろうと、愚痴であろうと、「ああ、神、主よ!」と叫べることは、なんと言う信仰でしょうか。私達はそう言っているでしょうか?「神、主よ」という前に、誰かに相談したり、人間を頼ったり、意見を聞いたり、導きを求めたりしていないでしょうか?ギデオンは神を見たからそう言ったのではありません。音として神の声を聞いたのではなく、霊感によって聞いたのです。心に語られた主の言葉に対し、このように応答して行ったギデオンは、やはり信仰の勇者だと思います。

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