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■「生涯を賭けて後悔しないこと」 / テトスへの手紙3:12~1

異邦人伝道者 テトスは当時にあって珍しい異邦人伝道者、そして牧師と言えます。他はすべてユダヤ人だったのです。異邦人(つまりユダヤ人以外)への伝道と宣教に人生を賭けたパウロにとって、テトスは愛する我が子のようであり、そして同労者でした。そして、私たちの目には強い人、と言うイメージのパウロですが、テトスという青年異邦人クリスチャンによって、どれほど慰められたかが、コリント人への手紙から伺えます。つまり、神は私たちにあっても、共に働き、汗も涙も流してくれる友を備え、与えて下さるのです。

あなたの宝は何ですか?健康、財産、家族、恋人、仕事、人生そのもの、友達、趣味、それとも鑑定団に出して見たいような絵画、骨董・・・・・? パウロとテトスにしても、宝はキリスト・イエスでした。この宝は信じて救われた者に永遠の命を下さるのです。如何なる宝も持ち主からすれば、誰にも見せられない、見せて自慢したいものでしょう。でもあげられないものですね。しかし、この宝は人にあげればあげるほど、手元で増えるという不思議な宝でした。そうです、私たちの宝であるイエス・キリストは他の人に伝えたり、分けたりと与えれば与えるほど、自分の中で増えつづけ、増えるからまた与えれば更に増えるという、本当に不思議な宝なのです。 更に、どんな宝でも私たちは死んで持って行くことは出来ませんが、キリストは私たちがもって行くのでなく、私たちを神の国へ連れて行ってくれるのです。あなたはこの宝をお持ちですか?もし、まだでしたら遅くならない内に、早く自分のものにしてください。お金は要りません。あなたの心の扉を少しだけ、彼のために開いて下さるだけでよいのです。

人生を賭ける 人は生まれ、そして死んでゆく。よく考えると、人生は儚く空しい。70年、80年とも思える現代の私たちであろうと、体のことをまったく心配しないで、毎日を謳歌できるのはせいぜい40歳までです。つまり、働き盛りと言っても、既に体はすっかり老化の境地に置かれているのです。子供のために、会社のために、食べるために、一生懸命働き続けて来た人生も、気がつけば晩秋を迎えていた、と言うようなものです。人生を将来のためにと、思いつづけて生きても、やがて迎える定年退職期にあっては、「何のために生きてきたのか」と溜息をつくだけの時が待っているのです。みなさん、もっとご自分を大事にしてください。自分を慈しんでください。自分を待っているのは棺だけ、なんて人生にしないでください。パスカルは言ったそうです。「信仰は賭け」であると。そう言えるかも知れません。しかし、賭け事は50%の勝率以下、又は1%以下です。しかし、この方、キリスト・イエスは信じる者を100%、天のみ国へ連れて行ってくださいます。聖書がそのことを確約しています。あなたと神の国の掛け橋、それがイエス・キリストなのです。この方を人生の救い主、魂の救い主として信じませんか?賭け金はゼロ!です。アーメン!

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