■「世界が変わった日」 / ルカの福音書23:50~24:11
イエスが十字架に架けられ、死んで三日目によみがえられたことが世界を変えました。もし、その事実がなかったら、キリスト教が世界に伝播することもなかったし、人々が苦しみの彼方に希望を見て行く信仰もなかったのです。音楽、絵画、彫刻、そして思考に言葉に尽くせない影響を与えた要因は、イエスが死からよみがえられたからです。
使徒パウロはその手紙の中で、イエスのよみがえりが意識として希薄なクリスチャンは、この世で最も哀れな人たちと指摘しました。そうです、よみがえりの主イエスであるからこそ、私達は絶望の中に希望を見出し、四面楚歌の中で神を見上げられるのです。一度信じた人が、教会と信仰から幾十年も離れ、それでもある日思い出したように教会に帰ってくるのは、よみがえりのイエスによるからです。
すべての人を待つのは死であり、墓です。たとい、散骨するにしても、死からは逃れられないのです。きらめく若さは夏草の如く枯れて行きます。今ある幸せも瞬間、風が止んで揺れない葦の如くです。生涯を賭けて築いた城も財産も、死を乗り越えることは出来ません。
空の空、この世とこの人生は空しい、と旧約の伝道者は言いました。美も健康も栄華も喜びも、夢がさめるが如くに、私たちから去って行くのです。死がすべてを奪うからです。 しかし、イエスを信じる者には、それらはなんらの影響を及ぼすことが出来ません。十字架の死と三日目のよみがえり、イエスを自分の救い主と信じ、心に受け入れたものにとって、死は一過性のものでしかありません。死の向うに永遠の神の国、聖なる方の御住まいが待っているからです。百年に満たない人生の向うに、永遠があるのです。それを信じられるのは、十字架とよみがえりの主「キリスト・イエスを信じる」からです。あなたはその方と、今日を生きておられますか?教会に行きましょう。そして聖書を読んでください。