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新約聖書/コリント第一
2019年8月18日
■知識は人を高ぶらせ/第一コリント6/12~20
知識は人を高ぶらせ、愛(アガペー)は人を建てる、実にアーメンである。 アーメン以外の何ものも無い。 日本語聖書の一番大きな過ちは、三つの愛の意味を使い分けるギリシャ語をうまく訳さなかったことである。 ギリシャ語にはエロスの愛、さまざまな人間関係を形容するフィリオと無償無限の...
新約聖書/マタイの福音書
2019年8月11日
契約の血/マタイ26:20~39
「荒野の泉」という本から抜粋。 ある黒人男性が当時毎晩行われた天幕伝道集会に参加したところ、主は彼の内に働かれ、 集会に行く度毎に、「今からの人生と私自身を主にお捧げします。」との決意をした。 しかし、集会から帰る頃になると、決まって悪魔がやってきて囁いたそうだ。...
新約聖書/コリント人への手紙
2019年7月28日
■十字架のことばは神の力/Ⅰコリント1章17~21節
山の峰、若しくは水の水源地点となるべき場所に「分水嶺」(ぶんすいれい)という石碑が立てられている。 同じ場所、同じ時刻に降った雨にせよ、場所によって左右二つに分かれ、沢となり、川の源流支流となる。 大きく分ければ一方は日本海、別の雨水は太平洋へと流れくだる。...
新約聖書/ヨハネ福音書
2019年7月21日
■このことを信じるか?/ヨハネ11:20~27
搗(か)ちあう、という言葉。 物と物が突き当たるとか、肩と肩がぶつかるといったふうに使用される。 または重なる、という意味もある。 場合によっては、搗ちわない、かみ合わない会話という場合の表現もある。 イエスはベタニヤ村にあるラザロ、マルタ、マリヤの三兄妹の家にちょくちょく...
新約聖書第一コリント
2019年7月14日
■伴侶の十字架/Ⅰコリント7:10~16
33歳でクリスチャンになったとき、キリスト教の何が解っていたかというと、完璧に何ひとつ知る由もなかった。 その朝までは・・・。 だが、あの朝、イエスは私の心に立って下さって、言葉を掛け、話しかけられたのだ。 1978年3月12日の朝までは、聖書の何かに対して、関心も興味も好...