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■ 聖霊に曳かれて / マルコの福音書3:20~30 (2005-01-23)
「牛に曳かれて善光寺参り・・」こんな言葉を聞いたことがありますか? 牛に・・ではなくて、聖霊に曳かれて(引っ張られる、引きずられるという意味)、主に仕える場面がクリスチャンには少なくない、と思います。自分としては、こういうふうにとか、後になってからとか考えたいのですが、聖...
マルコの福音書3:20~30
2005年1月23日
■ キリストに生き、キリストに生かされる / マルコの福音書2:18~22
先週の新聞に「振り込め詐欺」のことが掲載されておりました。とてつもない被害額に上っておりますが、日本でこの種の事件が膨張してしまうことに、日本人という国民性も起因している、とも思われました。被害に会われた方達は、家族のためならば「出来る限りのことをしてあげたい」と言う心情で...
新約聖書 /マルコの福音書
2004年12月12日
■ イエスを求め、そして拒む世 / マルコの福音書3:1~11
クリスマスの時期、デパートは早々とツリーを飾り、クリスマス・ソングが町中を流れ、家によって明かりのデコレーションにつつまれています。私の近所の酒屋さんの庭は、お伽の国に迷い込んだように思うほどです。 でも、これらの場所に救い主のお生まれになるのを、待ち望む希望は見えません...
新約聖書/マルコの福音書
2004年12月5日
■ 隣り人へ世界へ福音を / マルコの福音書3:13~19
12月、クリスマスシーズンですが、世界へ派遣されている宣教師たちのことを覚えます。殆どの宣教師たちは故郷でクリスマスを迎えることなく、神から示された宣教の地で故郷の家族を思いつつ、過ごすのです。私達も彼らを覚えて祈ることができます。「神さま、どうか僻地や危険な地域で、あなた...
新約聖書 /マルコの福音書
2004年11月28日
■ イエスの教会 / マルコの福音書2:13~17
聖書は不思議です。どうしてイエスの容姿に対し、まったく書き記さなかったのでしょう。私達はとても知りたい、と思うときがありますが、一筆も記していないのは何故でしょう?イエスの弟子たちは、イエスの一声で彼について行ったと書いてあります。きっと、人間の言葉では表現出来ないお顔だっ...
新約聖書/マルコの福音書
2004年11月21日