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■ 神を畏れよ / マルコの福音書6:45~56 (2005-06-12)
我々は神を畏れる。畏れるとは、かしこまって敬うという意味の「おそれ」である。それは「恐れ」ではない。しかし、これだけでいいのだろうか、と思う。現在の私たちは神への「恐れ」という概念が希薄過ぎると思った。旧約聖書の時代、人々は本当に神を恐れた。へブル人たちは「神」という名さえ...
マルコの福音書6:45~56
2005年6月12日
■ 「今」を問われる神 / マルコの福音書6:30~44 (2005-06-05)
私達の神は今を問われる。明日の信仰、来年の私達の信仰を神は問題にされない。「今」である。今、何をどう信じているのか、である。だが、私達は今よりも先延ばしを希望する。要するに今、決めたくない。今、結論を出したくない、のである。特に重要な課題はじっくりと考えてから・・・と思う。...
マルコの福音書マルコの福音書6:30~44
2005年6月4日
■ 好い加減が好きですか? / マルコの福音書6:14~29 (2005-05-29)
好い加減? 好い加減と言う言葉は相当極端な意味を含む。仮に風呂の温度なら、丁度良い湯加減であるが、対人関係とか仕事に対する態度であるなら、信用ガタ落ちである。そして、この世はなんとか乗り切れるかも知れないが、神の前においてはそうは行かない。日本の八百万の神々を信奉する風土...
マルコの福音書6:14~29
2005年5月28日
■ 神の杖を手に / マルコの福音書6:7~13 (2005-05-22)
先ず、この聖書の箇所には「イエスが12弟子を呼ばれた」と書いてある。私達はいかなる奉仕の場所であろうと、イエスに呼ばれたのである。神が呼ばれたから、礼拝の奉仕がある。司会者、賛美のリーダー、聖歌隊、メッセンジャー、献金の係り、礼拝の受付、礼拝後のお茶の用意、すべて神さまに呼...
マルコの福音書6:7~13
2005年5月22日
■ あなたもイエスに躓く / マルコの福音書6:1~6 (2005-05-15)
日本語、特に漢字を一番初めに当てはめた人のことを、時々考えては「なるほどなあ」と一人感心してしまう。勿論、私の自分流の解釈によるものだが・・例えば「躓く」と言う文字。足を書いて質と言う字を並べている。足が取られて動けない、つまりとらわれ状態の心、思い、行動、であろうか。私は...
マルコの福音書6:1~6
2005年5月15日