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■ 神の誠実、これをなしたまえり / マルコの福音書8:22~26 (2005-07-31)
イエスと弟子達ががベッサイダという村に来たとき、村人が目の見えない男を連れてきて頼んだ。「主よ、どうかこの男にさわってやってください!」イエスは男を人々から引き離し、彼にふれると、男の目は開き、生まれて初めて見る人間の姿は、「まるで歩く棒のようです」と言った。イエスは村に入...
chofuminami
2005年7月31日
■ 蛇のように悟くあれ / マルコの福音書8:1~21 (2005-07-24)
二度目のパン記事が出てくる。いかに人々がイエスを慕い求めていたかが、伝わってくる。 皆、腹の空くのも忘れてイエスと彼の言葉に渇いていたのだろう。実に彼らにとって腹は二の次であった。現代の教会は食事が先、と言う印象が否めない・・(猛省)...
新約聖書 / マルコの福音書
2005年7月24日
■ 開いていても見えない目 / マルコの福音書7:31~38 (2005-07-17)
ある日、イエスの前に耳が聞こえず、口のきけない人が連れて来られた。彼自身の世界は長い時間、小さな部屋に閉じ込められている状態だった。私達も言葉を語れることの恵みを失ったとしたらどうだろう。自分の心や気持ちを表現できないとしたら。しかし、彼の人生で最も素晴らしい日がやってきた...
chofuminami
2005年7月17日
■ 主はここにおられる / マルコの福音書7:9~23 (2005-07-03)
昔、旧約の預言者エゼキエルはバビロン帝国がユダヤを踏襲し、人々を捕虜として帝国へ連れ去った時代に起こされた人である。神はエゼキエルに不思議な幻、黙示を見させられた。それは、今は荒涼として朽ち果てたように見えるエルサレム神の都と神殿も、やがて「その時」が来れば以前にも増して、...
chofuminami
2005年7月3日
■ 信仰・唇と心の温度差 / マルコの福音書7:1~8 (2005-06-26)
人間、実に厄介な生き物である。人間である自分がそう思うのだから、創造主は特に強く思われるに違いない。神の忍耐に、ひれ伏すしかない。そんな人間のために愛する我が子を十字架に追い立てたのだから。 「神は絶えずアーメンなるかたである」と、聖書が言うとおり、神は決して御自身を否定...
chofuminami
2005年6月26日