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ヨナ書3:10~4:11
2016年9月11日
■ 一縷の望み / ヨナ書3:10~4:11
藤井聡太君、14歳2か月で将棋の四段となり、はれてプロ資格を得て棋士となった。 天才より上の「大天才」だと、加藤一二三、九段が言っておられた。 一体、何手先まで読むのだろう。 いつの日か最高峰の九段となり、名人位に就く日も来るだろう。 ...
マタイ9:1~8
2016年9月4日
■人生で一番大事なもの / マタイ9:1~8
脳卒中で身動き出来ない男性がいた。 ある日、ナザレのイエスが近所の家に来られたらしい、という情報が飛び込んだ。 そこで男達は病人を戸板に寝かせたまま、その家に運んだ。 ところが家の中は大勢の人で立錐の余地もない。 ましてや寝かせたまま、運びきれない。 ...
ヨナ書2:10~3:10
2016年8月28日
■葛藤伝道にも意味がある /ヨナ書2:10~3:10
伝道、響きも聞こえもいいが、現実は難しい。 でも優しいし楽しい、何故か? それはイエスさまが其処におられる時だから。 つくづくそう思う。 救いの道を伝える、これが伝道。 自分の思いでも我が道でもない。 「イエスという道」を伝えるのだ。 ...
ヨナ書1:14~2:10
2016年8月21日
■愛国心/ ヨナ書1:14~2:10
ヨナ、イスラエルの国粋主義的な預言者。 神よりも自国の安全と未来を優先した預言者。 だからと言って、神は彼を諦めたわけではない。 どこまでも、どこまでもヨナを宣教の器として追いかけた。 創造主からこれほど追いかけられて頼りにされるとは、なんという果報者であろうか。 ...
ヨナ書1:1~14
2016年8月14日
■ 逃げないで / ヨナ書1:1~14
ヨナという人は凡そBC780年ごろイスラエルで活動した預言者である。 神は「敢えて彼を選ばれ」、北の帝国アッシリヤに行ってニネベの街に悔い改めるように伝えよ、と促された。 「ニネベの悪がわたしの前に立ち上ったから」と神は仰せられた。 ...
ヨハネ6:58~69
2016年8月6日
■ 弟子道 其の弐 / ヨハネ6:58~69
中世ヨーロッパには騎士道があった。 その精神的支柱は聖書であった。 鎌倉時代から江戸時代に掛けては武士道があった。 こちらの精神的支柱は儒教であった。 ならば新約聖書における弟子道はどうだろう? こちらは騎士でもなければ武士でもない。 ...
ヨハネ6:48~59
2016年7月24日
■ 弟子道/ヨハネ6:48~59
イエスは言われた。 場所は安息日にユダヤ人が集まるシナゴーグ(会堂)。 「わたしはいのちのパンである。これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがない。」 イエスは、人々に向かってご自分を食べよ、と言われた。 そして今もそう言われ続ける。 ...
マタイ12:1~14
2016年7月17日
■ 人の子は安息日の主です/マタイ12:1~14
1978年7月、私がクリスチャンになって4か月目の頃、一冊の本に興味をもった。 「沈黙」、遠藤周作先生の著である。 徳川時代、キリシタン迫害と追放の時代に日本布教を目的として海を渡ってきた宣教師の話である。 命を賭して航海の旅を経て、文化も風土も異なる極東の島国へ渡る...
マタイ11:15~30
2016年7月10日
■ イエスがいなければ/マタイ11:15~30
「イエスがいなければ何もできない」と歌い、「イエスがいなければ生きるすべなし」と歌う。 まことにそのとおりである。 まったく疑う余地なし。 キリスト馬鹿にならせていただいて間違いなかった。 だが成りきったわけではない。 ...
コロサイびとへの手紙1:21~29
2016年7月3日
■ 土台はキリスト/コロサイびとへの手紙1:21~29
人間は、その人生においてそれぞれは土台の上に生きている。 ここに「人は考える葦」と言われた言葉の意味があると思った。 ただぼんやりとあてもなく生きられないのが人間であると思う。 土台とはその人にとって信念であり理念であるかも知れない。 ...
ピレモンへの手紙
2016年6月26日
■ キリスト者の神髄/ピレモンへの手紙
二千年前、特に地中海沿岸の国々やローマ帝国などには多くの奴隷にされた人々がいた。 奴隷なくしては暮らせない時代であったし、国によっては人口の倍近くいたらしい。 奴隷とは社会的通念から言えば、人でありながら、人ではなかった。 ...
マルコ10:13~16
2016年6月19日
■ 子供たちをイエスのもとへ/マルコ10:13~16
ある日、イエスのところに大人たちが幼子を連れて来た。 それを見たイエスの弟子達が彼らを叱った。 おそらくこう言ったのだろうか。 「ここはお前たちの来る場所ではない!」 イエスはそれをご覧になり弟子達に憤っていわれた。 ...
使徒22:3~10
2016年6月12日
■ この道の他に道なし/使徒22:3~10
50年前の夏、当時はカニ族と言われるスタイルで初めての北海道旅行に行った。 本州は列車の長旅、青函連絡船で津軽海峡を渡り、鈍行で太平洋岸を上った。 目的は大雪山に登ること。 大沼でボートを漕ぎ、駒ケ岳を仰いだ。 最近起こった少年の失踪事件で、急に当時を思い出した。 ...
詩編119:129~133
2016年6月5日
■ 愚(ぐ)なるもの 汝の名はひとなり
他人から「愚か者」と言われて、笑ってやり過ごせる人など、まず居ないだろう。 しかし、自分から「私は愚かな者です。」とは言えるだろう。 その差は何なのか? 要するに他人から言われることと、自分から言うことの違いだけである。 「初めに神が天と地を造られた。」 ...
使徒の働き15:35~16:10
2016年5月29日
■It is well (これでよし)
「It is well」という讃美歌、日本語では「安けさは川の如く」という曲名。 意味を解くと、「主よ、我が心は平安なり」だろうか? この讃美歌の詩を書いたH・スパフォード氏の人生は波乱万丈という表現ではあまりに相応しくないと思った。 ...
使徒の働き3:1~10
2016年5月22日
■ その日暮らし
私はある時から「その日暮らし」に拘ってみたいと思った。 もともとそういう性質(たち)の人間なのかも知れないが、現実は決してそうならなかった。 ここでいう「その日暮らし」とは、食べ物に事欠く生活のことではない。 日々の刻一刻の中で、敢えてイエスを見上げていないと、先に進...
ヨシュア記6章1~10
2016年5月15日
■ 木偶の坊(でくのぼう)と呼ばれ
エリコの草原に陣取ったイスラエルは、はるか彼方にそびえる町の城壁を見て、何を感じたのであろう。 高く厚い城壁は町を完全に囲み、近づく誰をも拒むかの様にそびえ立っている。 だが、実際の城内の空気は違っていた。 ひたひたと迫り来るイスラエルそのものと共にある、目に見えぬヤハ...
ヨハネ19:23~27
2016年5月8日
■ This is HER story
人類が地上に暮らし始め、そして有史以来、女性の中で誰一人として体験したことのないことをイエスの母、マリヤは体験した。 それは聖霊によって彼女の胎に赤子を宿したということである。 彼女は、その人生において誰よりも悩んだであろう。 ...
マルコ15:16~21
2016年5月1日
■ イエスの十字架
あの日、イエスより一足早く十字架を背負った男がいた。 背負ったというより無理矢理に運ばされた。 クレネ人シモン、たまたま遠い田舎からエルサレム詣でに来ていたユダヤ人だった。 何やら騒がしい人だかりに思わず首を突っ込んだところ、傍に居たローマ兵に見つかった。 ...
ヨハネ20:19~31
2016年4月24日
■ 私の主 私の神 (2016-04-24)
復活の主、イエスが弟子たちの前に現れたとき、トマスだけがその場にいなかった。 トマスの中に、自分だけがイエスを見ていないという不公平感と、取り残された不満は他の者に対する投げやりな言葉となっていた。 だから「私たちは主を見た。」という弟子たちの言葉はトマスにとって腹立た...