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旧約聖書/創世記
2017年2月5日
■謝罪と和解/創世記32:31~33:16
昔、「荒野の泉」(Streams in the Desert)というデボーションBook出会ったヒントがずっと心に残っている。 実に名著であった。 『神は勝者の神ではなく、敗者の神である』という言葉。 確かに人間は勝者で有り続けたい生き物だ。...
旧約聖書/創世記
2017年1月29日
■ヤコブの戦った相手/創世記32:19~30
どんな動物でも野生という本能を失ってはいないと思わせられる事故が起きた。 飼育していたライオンが飼育員の首に噛みついた。 首に噛みついたということは、相手を殺すつもりそのもの。 或る意味、人間も同様な生き物である。 人間こそ、その本能を失っていない生き物だ。...
旧約聖書/創世記
2017年1月22日
■虫けらのヤコブ/創世記32:1~21
イザヤ書42章14節 「恐れるな、虫けらのヤコブ、わたしがあなたを助ける。」 15年前、思いっきり凹んでいた私であったが、何とか聖書の言葉によって引き上げられたいと思っていたとき、目に飛び込んできた主の言葉。 「虫けら」という言葉と「わたし(神」があなたを助ける」がチグハグ...
旧約聖書/創世記
2017年1月15日
■パダン・アラムの春/創世記31:1~21
パダン・アラム、今のイラク北西部、バグダットから北西へユーフラテス川を上った辺りだろうか。 アブラハムの孫、イサクの次男のヤコブが移り住んで16年を過ぎた頃だった。 叔父ラバンを頼りに生きていたヤコブであるが、ラバンの娘のレアとラケルの二人を娶り、家業とした牧畜に精を出し、...
新約聖書 /ヨハネ福音書
2017年1月8日
■信仰は息をする/ヨハネ8:19~27
人がキリストから与えられた信仰は生きている。 生ける神からの贈り物、賜物であるから、信仰は生きている。 しかし、時と共に信仰は死んで行くことが少なくない。 それは人間が再び世の常識と道理の中に埋もれて行く過程に従って、生きて弾んでいた信仰も萎んで行くからだ。...
旧約聖書/詩編
2017年1月1日
■バビロンの川の畔/詩編42:1~5
1977年、今から39年前のクリスマスの夜。 私が初めて、自らの気持ちで教会を訪問した晩だった。 9カ月前に家内がクリスチャンになって以来、前向きに教会とキリストを考えた日は一度としてなかった。 その晩も別に何らかの目的があったわけではないが、取り敢えず多少は前向きだった。...
新約聖書/第一ヨハネの手紙
2016年12月25日
■教会は愛の(アガペー)塊/1ヨハネ4:7~21
昔から眺めて来た画、聖なる夜の聖家族。 生まれたばかりのイエスを大切そうに抱くマリヤ、母子を覗き込むように見守るヨセフ。 少女の様なマリヤの横顔、そして大人びたヨセフの目は神秘そのものの嬰児を凝視していた。 色々な画家が描いた画にせよ、三人を取り巻く空気は世の平安というより...
新約聖書/コリントひとへの手紙第二8:1~15
2016年12月11日
■マケドニヤ教会への分け前/Ⅱコリント8:1~15
今から1960年ほど前、キリスト教会は地中海沿岸部西のギリシャと上のトルコ地方に散らばっていた約10数か所程度だった。 しかし、現在の様な教団教派の境やカラーはなく、実に純粋でキリストだけを意識する交わりのあるものだった。...
新約聖書/ヨハネ福音書
2016年12月4日
■平和の主は唯ひとり/ヨハネ8:1~18
人が誰かを裁くとき、裁きの基準は自分の価値観である。 たとえ彼がすべてを理性に委ねたにせよ、基準は自分である。 仲間の意見を参考にしたとしても、基準は自分である。 だとしたら、私達が誰かを裁くとき、同じ思いで自分を裁けるだろうか。 無理である。...
旧約聖書/創世記
2016年11月27日
■この世はこの世/創世記29:14~35
大河ユーフラテスの上流に幾つかの支流がある。 それらの源流を束ねたかのように、ゆったり構えるのがパダン・アラム。 意味は「アラムの平地」「アラムの原野」で、メソポタミヤ北部の広大な地域である。 その地にやってきたのが放牧民として暮らしていたアブラハムの孫のヤコブだった。...
旧約聖書/創世記
2016年11月20日
■ヤコブの涙/創世記29:1~14
創世記29章、荒野の危険な長旅の末、ヤコブが巡り合ったのが従妹のラケルという羊飼いの娘だった。 ヤコブは羊の水飲み場で出会ったラケルを確認したとき、そこに居た周囲の目も気にせず、彼女に口づけし、声をあげて泣いた、と聖書は記している。 何故、ヤコブは泣いたのか・・・...
エペソ人への手紙5:22~31
2016年11月13日
■キリストの下に/エペソ 5:22~31
聖書が教える理想の夫婦像は、エペソ人への手紙から読み取れる。 但し、それは夫婦二人に求められる究極の生き方であり、理想でもある。 だから手が届きそうでいて、実際は半端ない導きである。 すべてにおいて言えることだが、ひとは己が打ち砕かれないと、神が求める者には成れない。...
旧約聖書/創世記
2016年11月6日
■石を枕に見た夢は/創世記27:46~28:22
当然であるが、創世記時代にキリスト教会は存在しなかった。 神学も律法も教会員も無いし、クリスチャンコミュニティも無かった。 人間同士が本能のままに生きていて、なんとも生々しい時代であった。 そこから伝わって来る事は、現代に生きる人間達と資質は殆ど変らないということ。...
旧約聖書/創世記
2016年10月30日
■唯一神/創世記27:22~46
聖書の神は唯一神である。 複数の神々ではない。 その理由、主は生きておられる方である。 人間は70年、80年、または100歳を超えても生きる時代であるが、間違いなく死ぬ。 神は永遠の方であるから死は無関係である。 生ける神と生きる人間。...
旧約聖書/創世記
2016年10月23日
■金よりも銀よりも/創世記26:12~33
金よりも銀よりも大切なもの? 中東の地で生きる人々にとって、命をつなぐは金ではなく「水」である。 日本なら何処にいても容易く飲める水であるが、かの地に於いては水が無ければ即、死である。 金よりも銀よりも大切なもの? それこそ人の命であるのだが、何かにつけて先立つものは「カネ...
使徒18:1~11
2016年10月16日
■悩める葦/使徒18:1~11
ブレイズ・パスカルの言葉「人は考える葦である」。 風が吹きつけると葦は揺さぶられ、更に強風になるとやがて倒れる。 だが、風が止むと、しばらくして葦は起き上がる。 人も自然の力、人生の苦しみに揺さぶられ、時として立ち上がれない。...
ルカ18:9-14
2016年10月9日
■義人/ルカ18:9~14
「義人」読んで字の如し、正しい人という意味。 日本語辞典は「堅く正義を守る人。我が身の利害を顧みずに他人の為に尽くす人。」とある。 まあ、これだけでも殆どの人は落第であろう。 しかし、これはあくまで人間が考えた基準である。...
ルカ16:19~31
2016年10月2日
■ ワン・チャンス / ルカ16:19~31
人は世に生まれて以降、色んな瞬間、瞬間がある。 チャンス、つまり何かのきっかけとなる「時」は幾度かある。 そのチャンスを掴むか、逃すかは私たちの選択と決心に掛かっている。 但し、人生の岐路に置かれるのは、何回もあるわけではない。 ...
chofuminami
2016年9月25日
■ イエスが一番 / ルカ19:1~10
キリスト教会、様々な取り組みの中で一番の試練は献金のお願いや催促であろうか。 信徒側も嬉しく感じている者は多くはないと思う。 本当は自分の信仰に対するチャレンジであるのだが。 人々からすれば口が裂けても「お金が一番」とは言えないものであるし、思わず我が信仰 ...
マタイ19:16~26
2016年9月18日
■ Young Rich Ruler / マタイ19:16~26
1978年のクリスチャンホーム・カレンダーのことは今も忘れない。 カレンダーの画はイエスを真ん中にして、左右両脇に二人の男性が描いてあった。 一人はリッチで綺麗な身なりをしている若者。 もう一人は貧しく年老いた人だった。 ...