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chofuminami
2018年6月3日
■apostle(使徒)/マタイ10:1~10
「使徒」とは、イエスが直接的に呼び出された人々、つまり12弟子のことである。 但し、パウロは十字架以前のイエスからではなく、復活後のイエスに呼び出されたので、自らを「月遅れで生まれた、そして最も小さい者、使徒パウロ。」と告白した。...
新約聖書/ヨハネ福音書
2018年5月27日
■たかが子供の弁当ですが/ヨハネ6:1~15
美しいガリラヤ湖面を取り囲むように周囲に丘が連なっている。 丘から丘へと埋め尽くす蟻の如く、数えきれない群衆が一人を求めて集まっていた。 中心はナザレのイエス、そのひとだった。 それはイエスから癒しを受けるべくして集まった人々、またイエスの不思議なわざを見るためだった。...
新約聖書/使徒の働き
2018年5月20日
■五旬節の奇跡/使徒2:1~15
春分の日の後、最初の満月の次の日曜日が、私の大好きなイースター(復活祭)である。 あくまでも教会暦であるが、本元はユダヤ暦から来ているため、年によって移り変わる。 イースターから数えて、ほぼ50日目が五旬節(ギリシャ語で50、つまりペンテコステ)の日となる。...
旧約聖書/サムエル記
2018年5月13日
■主に明け渡した人よ、汝の名は母なり/Ⅰサムエル記1:12~28
サムエル記の主人公、サムエルは預言者であり、最後の士師(さばきつかさ)であった。 預言者として、主のお膝元で仕えるが如く忠実な人であったし、士師として民を神の下に導くべく強烈な霊性と力を与えられた人だった。 そういう稀なる人として成長したことには、特異な過去があった。...
新約聖書/マルコ福音書
2018年5月6日
■あなたは神の国から遠くない/マルコ12:18~34
新約聖書の福音書に登場するユダヤ教の二つのグループがサドカイ派とパリサイ派。 それぞれは信じる内容も方向性も、彼ら自身の生きる場所も異なっていた。 サドカイ派は祭司系の裕福な環境からの人達であるが、霊性に関しては非常に冷めたものであった。...
新約聖書/マタイの福音書
2018年4月29日
■神、共におわしませば/マタイ7:15~29
確かに、やっとのことでカナンに居場所を確保出来たアブラハムとサライ、それでも神の約束は現実、目に見えるものに至ってなかった。 「もしかして、あの日、聞いたのは幻だったのか・・」とアブラムは心中模索した。 その晩、主のことばが幻のうちにアブラムに臨んだ。...
新約聖書/マタイの福音書
2018年4月22日
■人の子は安息日の主です/マタイ12:1~14
ユダヤ教が位置づける「安息日」とは、「汝、働くべからず」であった。 創世記の冒頭で語られる記事には、神が第一日から第六日に掛けての六日間で、すべてのわざを終えられ、第七日目は休まれたとある。 (但し、ここでいう一日を24時間と考えないように。あくまで聖書が考える一日である。...
新約聖書 / ローマ書
2018年4月15日
■子よ、汝の罪赦されたり/ロマ書1:16~28
人にとって人生と心と体に沁み込んでしまったものを捨てる、変えることは難しい。 仮に、幾ら聖書が何と言おうと、きっと人々は反発するだろう。 しかし、あなたがイエスを信じたクリスチャンだったら如何ですか?と、問いたい。 それでも駄目かも知れない。...
新約聖書/ルカの福音書
2018年4月8日
■開いていても見えない目/ルカ24:13~32
いつも分かち合う体験談。 通い慣れたファミレスで働くお母さん。 馴染になったこともあり、ニコニコと細やかなサービスもしてくれる。 その店に行くと必ず出会うお母さん。 私の中では、無意識に夢庵・母さんとして位置づけししていた。 ある日、スーパーで出会った女性。...
新約聖書/ヨハネ福音書
2018年4月1日
■私の主、私の神/ヨハネ20:24~31
二年ぶりに早天礼拝をもたせていただいた。 1985年、当教会が集まりを始めた時期はイースターに近かい日だった。 そこで、近くの大きな公園の豊かな自然の中で、昇る朝陽に照らされながら集会の出発と、よみがえりのイエスを感謝して野外礼拝をしたと聞く。...
新約聖書/ルカの福音書
2018年3月29日
■2018・最後の晩餐/ルカ22:14~24
年に一度のイースター(復活祭)。 クリスチャン、特に教会生活を送っている信徒にとって、これほど大きな力を与えられる時は無い。 でも、その三日前の木曜日夜の「最後の晩餐」は実に意義あるものだ。 イエスが遂に十字架の道へと歩を進めた第一段階であり、既に覚悟を決められた次元である...
新約聖書/コリント人への手紙
2018年3月18日
■本当に必要な方はイエスだけ/Ⅰコリント10:1~17
『昔、イスラエルは雲と海とで、モーセにつくバプテスマ(洗礼)を受け、みな同じ御霊の飲み物、みな同じ御霊の飲み物を飲んだ。その御霊はキリストであった。』 パウロが、この様に説明したのが第一コリント10章である。 だが、イスラエルは御霊の神ではなく、目に見える神々(偶像)を作り...
新約聖書/マタイの福音書
2018年3月11日
■対象外/マタイ15:21~28
或る日、イエスは地中海沿いを上ってツロとシドン(現在のレバノン)という海岸沿いの道を歩いておられた。 するとカナン人の女性がイエスを目ざとく見つけ、大声でイエスに叫んだものだ。 「主よ~、ダビデの子よ~、私を憐れんでください。娘がひどい悪霊に取りつかれているのです。」...
新約聖書/マルコ福音書
2018年3月4日
■神の国は今どこに」マルコ4:26~33
「神の国は・・・」で始まるこの箇所、マルコ4章26節が好きである。 イエスはいろいろ言ってくださるが、いまいち掴みどころがない表現が神の国である。 でも、だからこそ好きである。 14年前、ある読者投稿記事が新聞に載った。 自殺志願の若い女性の体験記事だった。...
新約聖書/マルコ福音書
2018年2月25日
■もし、お出来になるなら/マルコ福音書
年端も行かない息子が奇病にかかって水の中、火の中を転げ回るなどする行動に困り果てた父親が、イエス不在の時に弟子達の所に行って子供の癒しを願い出た。 しかし、弟子達にとって手をこまねくだけだった。 しばらくしてイエスが帰ってこられ、状況を察知されて言われた。...
新約聖書/エペソ人への手紙
2018年2月18日
■土塊(つちくれ)のわたし/エペソ3:7~13
幼い時よく泥遊びをし団子作りをした。 土を水でこねて丸めた土だんご。 姿かたちのよく似ているのが「さつま団子」という当時は三時のおやつ。 薩摩芋を薄くスライスし、天日でカラカラに乾かし砕いて粉にする。 それを水でこねて、手で適当な形にし、釜で蒸かすと、非常に地味な甘さだけど...
新約聖書 マタイ福音書
2018年2月11日
■我に躓かぬ者、幸いなり/マタイ11:2~13
バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)は神の導きの下、非常に年老いた両親から生まれた預言者である。 生まれる前から、彼の人生は預言者と決まっていた。 決めたのは創造主である神。 ヨハネの役目、それはキリストを信じて生きる民を前もって清め整えることだった。...
新約聖書/マルコ福音書
2018年2月4日
■向こう岸へ渡ろう/マルコ4:35~41
或る日の夕方、イエスが弟子達を促された「さあ、向こう岸へ渡ろう!」 ガリラヤ湖のほとり、大勢の群衆を前にしてイエスは神の国を語っておられた。 舟のへりに腰掛けて話されていたが、イエスは急に何かを思い出されたようにいわれた。...
旧約聖書/創世記
2018年1月28日
■霊妙なる主の調べ/創世記11::22~32
遠い昔、創世記の時代、ある家族が慣れ親しんだ故郷ウルを後にした。 ウルという町はペルシャ湾に向かって流れる二つの大河、ティグリスとユーフラテスが一つになって合わさる一歩先にあった。 土地は肥沃で、貿易も盛んな町はカルデヤ人の住む町として、月神礼拝が中心の生き方だった。...
新約聖書/ヨハネ福音書
2018年1月21日
■キリストは我がすべて/ヨハネ14:16~27
イエスは言われた、「わたしが道であり、真理であり、命である。」ヨハネ14:6a 非常に有名な聖句、信仰に入った40年前から気に入っていた。 あれから何十年も経ってから考え直した、というより改めて聞かされたかのようだった。 そして思わぬことに気がついた。...