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旧約聖書/士師記
2004年7月25日
■「この弱き者、小さき者、欠けある者」 / 士師記6:1~23
「その頃、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」 この言葉は私の脳裏に強く印象づけられました。そうです、私たちの国、愛する日本、そして私たち日本人にピッタリの言葉と思いませんか?王がいない・・そうです。天皇も首相もいますが、精神的支...
新約聖書/ヨハネの福音書
2004年7月18日
■「ニコデモ」 / ヨハネの福音書3:1~15
ニコデモ、彼はユダヤ人の指導者でした。当時、宗教的指導者であることは、社会においても名を馳せた人であり、人々からは尊敬された立場です。そして彼はパリサイ人であり、イエスに対しては敵対しているグループです。しかし、ニコデモはイエスに対し、大変興味を持ちました。イエスの二倍の年...
新約聖書 /マタイの福音書
2004年7月11日
■「あなたはイエスを誰と言う?」 / マタイの福音書16:13~2
イエスが弟子達を前にし、自分のことに対して質問をしました。そこはピリポ・カイザリヤという場所で、岩山の裾野のような場所でした。大量の水が流れ出ている場所です。山の上には雪が積もっており、雪解け水が音をたてて流れています。 ...
新約聖書 /マタイ福音書
2004年7月4日
■「神の限界?」 / マタイ9:27~31
祈りの限界 全能の神、この方が私たちの神です。と、言ってもいろいろな神さまがいる中で、私たちが聖書の神を信じた、のではありません。全知全能、文字通り、神はイエス・キリストの父である、創造主です。ところで、あなたが今、またはこれまでに神と信じた、または神と信じたい、と思われ...
新約聖書 /ルカの福音書
2004年6月27日
■「祈りは呼吸」 / ルカの福音書18:1~14
日本人ほど、祈る民族はいないのでは、と思いませんか? だって正月のお年玉葉書には皆さん、必ずそう書きますよね。もしかしたら、日本人が好きな言葉が「祈っています」なのかも知れませんが。 私がつくづく思うことは、クリスチャンにとって祈りとは、「呼吸」のようなもの、ということ...
新約聖書 / マルコの福音書
2004年6月20日
■「十字架を背負ったお父さん」 / マルコの福音書15:12~21
偶然? イエスが十字架につけられる過程が、「パッション」という映画で克明に表現されておりました。鞭打たれ傷ついた主は、もう歩けないほど弱っていたのです。そこへたまたま通りかかったクレネ人シモンと言う男が、イエスの十字架を運ばされました。彼は十字架を背負わされたのではなく、...
新約聖書/テトスへの手紙
2004年6月13日
■「生涯を賭けて後悔しないこと」 / テトスへの手紙3:12~1
異邦人伝道者 テトスは当時にあって珍しい異邦人伝道者、そして牧師と言えます。他はすべてユダヤ人だったのです。異邦人(つまりユダヤ人以外)への伝道と宣教に人生を賭けたパウロにとって、テトスは愛する我が子のようであり、そして同労者でした。そして、私たちの目には強い人、と言うイ...
新約聖書/テトスへの手紙
2004年6月6日
■「奴隷から相続人へ」 / テトスへの手紙3:1~11
肉の奴隷 日本人社会に起こっている凄惨な事件を知って、特に感じることがあります。それは、「自由というものをはきちがえた私たち」ということです。通常、私たちは考えます。何でも出来る事が自由である、と。でも、その自由によって、誰かが泣いたり、傷ついたり、死んだりしています。と...
新約聖書/テトスへの手紙
2004年5月30日
■「主は生きておられる」 / テトスへの手紙1:15~2:15
神の憐れみ 私の知り合いに零細企業の社長さんがおりました。彼の葬儀に2千人近い人が参列しました。芸能人でも政治家でもありません。彼の徳とも言える葬儀でした。人を愛し、人に愛された人生そのものでした。神の憐れみがたくさんあった人生ですが、彼に欠けたものがありました。それは救い...
新約聖書/テトスへの手紙
2004年5月23日
■「器は練り直される」 / テトス1:1~11
書簡の中でポピュラーに登場する名前はテモテという名です。特に若い人たちの見本として語られる名であり、手紙の内容も有名なみことばの宝庫です。しかし、テトスという人を見る時、彼はパウロの伝道において、欠かすことの出来ない存在でした。その存在感はコリント人の中では際立って輝いてお...
chofuminami
2004年5月16日
■「私はキリストのもの」 / ヨハネの福音書17:1~11
今日の箇所で、主イエスは幾度も仰っておられます。「彼ら(それは弟子達であり、今は私たちイエスを受け入れたものが該当してきます)は天の父よ、あなたのものです。そしてあなたのものはわたしのものです」。 嬉しいですね。今日も神の赦しと寛容なくしては、とても赦される筈もない私をこ...
旧約聖書/詩編
2004年5月9日
■「神よ、なぜですか」 / 詩篇89:46~52
人はその人生で、誰もが悩み、苦しみがあります。神の民(クリスチャン)であるならば、苦しみが与えられた意味を知りたい、と思うのです。新約聖書の「へブル人への手紙」では、神はその愛する子(信仰者)に対し、ムチをもって懲らしめるが、それは憎しみの故ではなく、「子として扱っておられ...
新約聖書 / ヨハネ福音書
2004年4月18日
■ 「信仰と不信仰は対峙し続ける」 / ヨハネの福音書20:19~29
私はクリスチャンにならせていただいて26年、牧師として10年になりますが、自分の中を眺めてみると、信仰者なのか、不信仰者なのか、と立ち止まってしまうことがあります。 可哀相なのは、教会のメンバーです。こんな者をよくもまあ10年も信じてくれて、日曜の講壇をまかせてくれました...
ルカの福音書
2004年4月11日
■「世界が変わった日」 / ルカの福音書23:50~24:11
イエスが十字架に架けられ、死んで三日目によみがえられたことが世界を変えました。もし、その事実がなかったら、キリスト教が世界に伝播することもなかったし、人々が苦しみの彼方に希望を見て行く信仰もなかったのです。音楽、絵画、彫刻、そして思考に言葉に尽くせない影響を与えた要因は、イ...
新約聖書/ルカの福音書
2004年4月4日
■ 「あの日、私も十字架に上にいた」 / ルカの福音書23:24~47
そうです、約2000年前のその日、彼は十字架に掛けられました。旧約聖書が言うとおり、『彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみと病の人のよう。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった・・・』イザヤ書53章...
旧約聖書/創世記
2004年3月21日
■ 「べテルの祭壇」 /創世記 35:1 ~ 15
私は以前、「あなたはヤコブそっくり!」と家内に言われたことがあります。私の中での「ヤコブ像」は、「祝福を大切にする人」「賢い」「女性にもてた」などのイメージがありましたが、家内に言わせると「ずるい」「人をだます」などと言う、マイナーどころか最悪のイメージのものでした。まあ、...
新約聖書/ヨハネの福音書
2004年3月14日
■ 「そこにキリスト」 / ヨハネ9:1~38
この章はイエスに目をあけてもらった盲目の人に対する人間の心がテーマです。 盲目の人はイエスに泥を目に塗ってもらい、「シロアム」と言う池に行って洗ったところ、彼の目が開いたのです。でも、周囲の人たちはそれが信じられませんでした。 ...
新約聖書/ヨハネの福音書
2004年3月7日
■主題「ビフォアー・アフター」からの要点 / ヨハネの福音書8:29~47
皆さん、この主題は家のリフォームとか整形のことを指すのではありません。 私たち人間の魂と心を考えて見ました。 イエスさまを受け入れる前、すなわち新生する前の自分をビフォアー、そしてクリスチャンとなった今をアフターと呼んで見ました。...