検索
新約聖書 /ルカの福音書
2004年12月19日
■ 2004年のキリスト降誕 / ルカの福音書1:24~38
マリヤ、その名は殆どの人が知っている名です。彼女は純粋な心と信仰の持ち主でした。人目には決して目立つ存在ではなかったのですが、神さまの目は彼女を捉えました。神の聖霊によって、彼女はメシアをみごもる母として、選ばれたのです。そのことの意味も、理由も、将来も不安と恐れでいっぱい...
新約聖書 /マルコの福音書
2004年12月12日
■ キリストに生き、キリストに生かされる / マルコの福音書2:18~22
先週の新聞に「振り込め詐欺」のことが掲載されておりました。とてつもない被害額に上っておりますが、日本でこの種の事件が膨張してしまうことに、日本人という国民性も起因している、とも思われました。被害に会われた方達は、家族のためならば「出来る限りのことをしてあげたい」と言う心情で...
新約聖書/マルコの福音書
2004年12月5日
■ イエスを求め、そして拒む世 / マルコの福音書3:1~11
クリスマスの時期、デパートは早々とツリーを飾り、クリスマス・ソングが町中を流れ、家によって明かりのデコレーションにつつまれています。私の近所の酒屋さんの庭は、お伽の国に迷い込んだように思うほどです。 でも、これらの場所に救い主のお生まれになるのを、待ち望む希望は見えません...
新約聖書 /マルコの福音書
2004年11月28日
■ 隣り人へ世界へ福音を / マルコの福音書3:13~19
12月、クリスマスシーズンですが、世界へ派遣されている宣教師たちのことを覚えます。殆どの宣教師たちは故郷でクリスマスを迎えることなく、神から示された宣教の地で故郷の家族を思いつつ、過ごすのです。私達も彼らを覚えて祈ることができます。「神さま、どうか僻地や危険な地域で、あなた...
新約聖書/マルコの福音書
2004年11月21日
■ イエスの教会 / マルコの福音書2:13~17
聖書は不思議です。どうしてイエスの容姿に対し、まったく書き記さなかったのでしょう。私達はとても知りたい、と思うときがありますが、一筆も記していないのは何故でしょう?イエスの弟子たちは、イエスの一声で彼について行ったと書いてあります。きっと、人間の言葉では表現出来ないお顔だっ...
新約聖書 /マルコの福音書
2004年11月14日
■ 「神の優先」 / マルコの福音書2:1~12
イエスがお話をされている家は人々でいっぱいになり、戸口まで溢れておりました。体の自由が効かない男性が、4人の男に寝かせられたままで運ばれましたが、とてもイエスの所まで行けません。彼らは考えたあげく、その家の屋根に上ると屋根をはがし、なんとイエスのおられるあたりへ寝台ごと吊下...
新約聖書 /マルコの福音書
2004年11月7日
■ 「このアンバランス」 / マルコの福音書1:40~45
一人の重い病気、ツァラアトを背負った男性が、イエスの前にやって来ました。この病に冒された人は、社会で生活することは許されず、更に自分の病名を大声で叫ばねばならなかったのです。まさに生き地獄の毎日でした。この日、彼はイエスの所在を知ると、この時をおいてチャンス無しと決心し、大...
新約聖書/マルコの福音書
2004年10月31日
■ 「1週間はこの日のために、この日は一生のために」 / マルコの福音書1:35~39
聖書は語ります。「イエスは朝早く暗いうちに起きて、寂しい所へ行き、そこで祈っておられた。」 イエスは孤独主義だったのでしょうか?そうではありません。彼は天の父と二人だけになることを大事にされたのです。 求道者という言葉のイメージは、一人一心になって道を求める姿を連想します...
新約聖書 /マルコの福音書
2004年10月24日
■ 「両極に置かれて」 / マルコの福音書1:21~34
最近、こんなユーモアを目にしました。 ある牧師がたいへん謙遜だったので、教会は彼に「謙遜大賞」を贈ることになり、早速彼はその賞を手にしました。しかし次の週、その賞は取り消されました。理由は牧師が賞を辞退しなかったからだそうです。私などはまったく縁がないものと自覚しています...
旧約聖書/ヨナ書
2004年10月17日
■ 「信仰の生命線」 / ヨナ書3:10~4:11
ヨナ書ほど私たち人間の弱さ、自分中心主義を鋭く突いている書物はないかも知れません。仮にも彼は神に仕え礼拝していた人物でした。イスラエルという国民の中から神に仕えるべく、特別に選ばれた者でした。しかし、ニネベ宣教を通して浮かび上がってきたものは、ヨナだけでなく、私たちがいかに...
旧約聖書/ヨナ書
2004年10月3日
■ 「とりあえず・・・」 / ヨナ書3:1~10
聖書はつくづく不思議な書物と思います。ヨナは神さまに従わなかったため、挙句の果てに海に投げ込まれる結果となったとあります(と、ここまでは理解しましょう)。次にヨナは大きな魚に呑みこまれ、魚の腹の中で神に助けを叫び求めたのです。鯨のような魚とは思いますが、大真面目で書いていま...
旧約聖書/ヨナ書
2004年9月26日
■ 「暗闇の祈り」 / ヨナ書1:14~2:10
神の御顏を避け、期待と命令に反してヨナは逃げましたが、神の愛と召しは変わりせんでした。そうです、いつもそうなのです。神は御自身を偽ることも、裏切ることも出来ません。人間とは大違いです。本心と建前という、サーカスの二頭立て乗馬のように自身を使い分ける私たちとは天と地の差があり...
旧約聖書/ヨナ書
2004年9月19日
■ 「あなたのニネベは?」 / ヨナ書1:1~17
旧約聖書に数ページしかないヨナの物語。一見、ユーモアな子供向けのお話のようです。 しかし、そこには深刻な国と国の力関係、そして神を信じ、神から言葉を授けられた預言者ヨナの苦悩と呻く姿が浮き彫りになって参ります。イエスの言葉にも、ヨナは重要な意味を表す男として語られています...
新約聖書 /マルコの福音書
2004年9月12日
■ 「神の国がやってきた」 / マルコ1:9~20
イエスがバプテスマ?? イエスがバプテスマを受けられたとき、神の御霊が鳩のように下り、天から声がした、と聖書は語ります。「あなたはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」現代、私達の教会もバプテスマをしますが、一つの魂が神に帰り、罪を悟り、人生を神に明渡して行く時のバプテ...
新約聖書/マルコの福音書
2004年9月5日
■ 「聖霊のバプテスマ」 / マルコの福音書1:1~11
荒野で叫ぶ者、ヨハネ イエスの母マリヤの親戚にあたるエリサベツから生まれたのが、ヨハネという人でした。 彼は成人した時、ヨルダン川から神の選民イスラエルに向かって叫んだ言葉が、「罪を悔い改め、神に帰れ」というものでした。それは生き方を神の方向へ変えなさい、なのです。つま...
新約聖書 /マタイ福音書
2004年8月29日
■ 「天的信仰」 / マタイ16:1~19
地上的信仰? 2004年のオリンピックはたくさんの感動をもたらしてくれました。メダル数だけではなく、人間、家族、友人、スタッフという関係の素晴らしさを、教えてくれたのです。日頃のストレスも随分癒された思いがします。そして、終わってみれば幻のような時間であったような思いさえ...
新約聖書 使徒の働き
2004年8月22日
■ 「信仰の価値」 / 使徒の働き16章25~34
困難が語る二つのこと パウロ達は一人の女奴隷を解放しました。彼女はイエス・キリストの名によって、占いの霊から解放されたのですが、占いは悪霊への礼拝です。そして、日本人社会は様々な占いを好みます。占いは結局は、占い師に多額の報酬をもたらし、人々を惑わすだけです。人間の未来を...
新約聖書 マタイ福音書
2004年8月15日
■ 「祈りは感情を替える」 / マタイ5:43~48
今も嫌われている私たち この夏、サッカーのアジアカップで熱い応援をされた方が少なくないと思います。目覚しい活躍をされた選手達に感動しました。アウェーでも自分たちが練習で培ったもの以上に素晴らしい戦いをしました。その中、中国の試合場で私たちが少なからず嫌悪感を覚えたことは、...
旧約聖書 創世記
2004年8月8日
■ 「神に向かう」 / 創世記32章1~29
人間の画策 今、ヤコブは20年振りに帰る懐かしい故郷を思っていました。本来ならそれは楽しい旅の筈でした。家を出る時は何も持たず、一人淋しく出立したのですから。しかし今は多くのしもべ、家畜、妻と子供、非常に裕福になって故郷へ錦を飾って帰る道でした。しかし、故郷が近づくに連れ...
新約聖書 /マタイの福音書
2004年8月1日
■ 今だからすべきこと / マタイの福音書24:35~44
今だからすべきこととは、後になっては、その価値もないし、意味も持たないから、です。この世に生きる今だからこそ、神への信仰が求められます。天国に入ったら、信仰など必要ありません。そこは神の国であり、神の完全支配。罪もなく、闇もない。病気も憎しみもない。神の愛と栄光が満ちている...