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マルコの福音書13:1~2
2006年3月12日
■ すべてが砕かれ崩れ去る / マルコの福音書13:1~2 (2006-03-12)
2千年前、エルサレムに神殿があった。46年を費やして建設されたというこの神殿、荘厳で重厚であった。朝日に夕日に、そして月の光に映しだされる姿は神の臨在を思わずにはいられなかったであろう。日本の古来に歌われたものに「何者のおわしますかは知らねども、その有難さに涙あふるる」とも...
マルコの福音書12:35~44
2006年3月5日
■ レプタ二つの意味 / マルコの福音書12:35~44 (2006-03-05)
我が国の銅貨、それは10円玉である。これを賽銭にしても、整理するのにしかめっ面をしたいのは、寺や神社であろう。しかし、教会の会計係りは違う。1円や5円、10円玉を見ると、それを入れた子供や大人の信仰を感じて温かい思いにかられる。 ...
マルコの福音書12:28~34
2006年2月12日
■ あなたは、神の国から決して遠くない / マルコの福音書12:28~34 (2006-02-12)
一人の律法学者がイエスの前に来て尋ねた。 「すべての命令の中で、どれが一番大切ですか?」 「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 ...
マルコの福音書12:18~27
2006年2月5日
■ 交差点 / マルコの福音書12:18~27 (2006-02-05)
「交差点」とは幾つかの方向から来た道が出会う場所である。 イエスは地上に降りてくださった。そして私達は彼と出会った。ここに交差点があった。 私達はこの世に生きつつ、神の国を思う。この世の不条理を嘆きつつ、神の国に思いをはせるが、自分が罪びとの存在であることも知っている。...
創世記39:1~23
2006年1月29日
■ 人生はいつも神への道 / 創世記39:1~23 (2006-01-29)
「据え膳食わぬは男の恥」などと言う言葉は、ヨセフの心の片隅にもなかった。 彼はまさにイエスの雛形と言える。旧約の中で、キラリと光る存在、それがヨセフであった。兄弟からエジプトの奴隷商人に売られ、地下牢のようなところで、見えない光を暗闇の中に求めて行った青年は、やがてエジプ...
マルコの福音書12:13~17
2006年1月22日
■ すべては神のものである / マルコの福音書12:13~17 (2006-01-22)
「すべてのものは神のものである」今回、このメッセージのために学んでみたが、つくづく反省と悔い改めを促された。信仰が弱いから、コミットメントが無いから、確信がないからとか色々並べる私であるが、その原因としては、そもそも一番の基礎でもあるべき、「すべては神のもの」という基礎観念...
マルコの福音書11:27~12:12
2006年1月15日
■ 天の声と人の思い / マルコの福音書11:27~12:12 (2006-01-15)
あなたは「天の声」を聞かれたことがあるだろうか? 多くのクリスチャンは聞いている。そして、私も聞いた。聞いた、と言っても耳に聞こえる音ではなく、無音で語られる言葉である。「な~んだ、それは自分の思いとか、考えじゃないのか?」と言われても仕方ないことと思う。その人が聞いたん...
マルコの福音書11:11~25
2006年1月8日
■ 人間の道理が落ちた日 / マルコの福音書11:11~25 (2006-01-08)
この世は人間の道理が大手を振って歩いている。それを許すのは人間そのものである。 聖書はそんな人間世界にもたらされた「生きておられる神のことば」である。分厚い本であるが、読みきれない量ではない。だが、そこには膨大な神のみことば掲載してある。これ一冊で社会も教会も十分な量の規...
第一歴代誌14:1~15:2
2006年1月1日
■ 2006年、恵みの戸が開く / 第一歴代誌14:1~15:2 (2006-01-01)
扉には幾つかの開き方がある。引き戸があり、押し開けるものがあり、また引いて開ける、上下させるものなどであるが、恵みの戸はどういう開け方をするのだろうか。 2006年が訪れた。望む、望まないに関わらず、やって来た。時間の世界であるから当然であるが、正月の風景は独特のものがあ...
新約聖書/ルカの福音書
2005年12月25日
■ クリスマス・その裏側 / ルカの福音書20:1~20
クリスマスが私達にもたらすものがある。 密やか 静けさ 無言 内面への指向 秘儀 約束 などであろうか。 イースターとはまったく異なるものであるが、共通性もある。それは後にも先にも一度限りのことであった、ということと、神が100%の先導と実行をしてくださったことである。...
新約聖書 /ルカの福音書
2005年12月18日
■ クリスマスその4・神に不可能なし / ルカの福音書2:26~38
「神にとって不可能はありません」(ルカの福音書1:37)と言う聖書の言葉がある。 多くの人が聖書を読む。だが、どれほどの人が「神にとって不可能なし」とする立場、思いで読んでいるだろうか。自分の人生に大した悩みがなければ、多くの人はそこに立てるだろう。だが、解決されない悩み...
新約聖書 /マタイの福音書
2005年12月11日
■ クリスマスその3・最後の預言者 / マタイ3:1~15
二千年前、ヨルダン川に異様な風体の男が一人現れた。髪はぼうぼうと伸び放題。ラクダの毛の衣をまとい、腰には帯を締めた様は、さしずめ野人そのものであった。食べ物がまた変っている。蝗(イナゴ)と野蜜であった。こんな男の言うことに誰が注意を払うだろうかと思うが、ところがどっこい驚く...
旧約聖書/ミカ書
2005年12月4日
■ クリスマスその2・よしんば今がいかであれ / ミカ書7:1~10
イエスがお生まれになる約700年前、ミカと言う預言者が神によって立てられた。ミカはイスラエルの神への背きを指摘し、やがて来る神の裁きを語った。彼の預言の中で、クリスマスになくてはならぬ言葉がある。それはベツレヘムという町に、イスラエルの王となるべき方がお生まれになるというも...
旧約聖書/創世記
2005年11月27日
■ クリスマスその1・いにしえの約束 / 創世記3:8~15
創世記、私達人間にとっては忌まわしい瞬間が記録されている。 初め、人は働かなくとも生きられれた。汗水流さずとも、である。更に、家庭内には暴力もなく、すべてが別世界であった。夫婦水入らず、ではなく、夫婦の間に創造主なる方がおられたからである。敵意、というものを意識する必要も...
新約聖書/マルコの福音書
2005年11月20日
■ すると、そのようになった / マルコの福音書11:1~10
創世記の初めの一章。聖書が繰り返し語る言葉がある。「すると、そのようになった!」である。創造主が発せられる言葉が、海と陸を分け、自然界をつくり、人間をつくられる。語られる度に「すると、そのようになった。」と聖書は言う。十字架で我が子を死なせてまでも人間を愛し、慈しんでくださ...
新約聖書/マルコの福音書
2005年11月13日
■ 人間の思いと神の国 / マルコの福音書10:35~45
クリスチャンと言えども、全く普通の人間であるから人間的思いがついて回る。それは何かにつけて、人間的こだわりがある、と言うことだ。私など一冊の古びた大型の聖書にこだわりがある。その聖書は、私の父が亡くなった時に、母に贈ったものである。49年も連れ添った夫を失い、ぽっかりと穴の...
新約聖書/マルコの福音書
2005年11月6日
■ あなたの信仰があなたを救う / マルコの福音書10:46~52
「あなたの信仰があなたを救った」とイエスは盲人に向かって言われた。 それは現代でも同様の意味合いがある。私の努力と私の修行ではない。私がどれだけキリストに信頼しているかが全てなのである。勿論、そこに働いてくださる神がおられるからこそである。...
新約聖書/マルコの福音書
2005年10月30日
■ イエス共にエルサレムへ / マルコの福音書10:32~34
イエスと弟子の一行がエルサレムへ向かっているとき、イエスは集団の先頭に立って歩き始められた。弟子達は驚き、恐れを覚えたと聖書は記す。並々ならぬ雰囲気が彼らを包んだのであろう。イエスの決心は、しっかりと固まりつつあり、何人をも寄せ付けない厳しさが彼の全身からみなぎっていたのだ...
新約聖書/マルコの福音書
2005年10月23日
■ 天の王国 / マルコの福音書10:17~31
一人の青年がイエスの前に進み出た。彼は裕福な家の長男であったろうか。そして道徳的にも宗教的にも秀でた人であったと思われる。だが、彼の魂は渇いていた。どれほど今が恵まれていようと、やがては老いてこの世を去る。現状の健康が生涯続くわけでもない。彼の内側では平安が揺らいでいた。そ...
新約聖書/マルコの福音書
2005年10月16日
■ 幼子を押し止めたイエスの教会 / マルコの福音書10:13~16
ある日、大人たちが幼子を連れてイエスの前にやって来た。子供達にさわって欲しいと考えたからである。親心である。この子の将来が祝福され、健康な人生であるようにとの思いであったろうか。今も昔も親の気持ちは変わらない。だが、イエスの弟子達は彼らを叱った、と聖書にある。...