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ヨハネ13:34~14:6
2015年11月22日
■ I am the WAY (私は道である) / ヨハネ13:34~14:6
主イエスの「受難の幕開け」はいつだったか。 それは最後の晩餐が終り、ユダが部屋を後にしたときであった。 イエスがいわれた、「今こそ人の子は栄光を受けた。また、神は人の子によって栄光を受けた。」 我々は通常、その場面をどう表現するだろう。 ...
第一列王記11:1~4、29~38
2015年11月15日
■ 朱に交われば・・・・ / 第一列王記11:1~4、29~38
ダビデから息子ソロモンへと王位継承がなされ、ソロモンに与えられた主の祝福はダビデと変わらぬものだった。 確かに、最初の段階だけは・・・ しかし、イスラエルの王として父ダビデの信仰と品性、資質までは継承出来なかった。 ...
ヨハネ2:1~11
2015年11月8日
■ カナの水瓶 / ヨハネ2:1~11
この世で二人といない母を体験したのはイエスの母、マリヤである。 処女の身でイエスを身籠ることを創造主に決められ、赤子の名前まで神が決められ、息子の人生までも、すべて父なる神が決められた。 マリヤであったにせよ、神に呟きたいことも、文句の一つもあっただろう。 ...
第一列王記21:17~29
2015年11月1日
■ 堕ちた偶像礼拝 / 第一列王記21:17~29
聖書の読み方は様々ある。 人間はものの考え方を学べる。 思想の裾野を広げられる。 時代と民族の境を超え、はるかに広い空間で人と神を考える。 だが真の意味で、生ける神を知らない民にとっての神観には限界がある。 私の中で聖書は聴くものだと思う。 ...
第一列王記21:1~17
2015年10月25日
■ ナボテのぶどう畑 / 第一列王記21:1~17
イスラエルの北西部にイズレエルという肥沃な平原地帯がある。 そこにナボテという人がいたが、彼の所有するブドウ畑は宮殿の傍にあった。 王が外を眺めるたびブドウ畑が目に入る。 たわわに実った葡萄は王宮の庭を彩るに相応しいものだった。 ...