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chofuminami
2005年8月7日
■ 私の信仰・他者の良心 / コリント第一の手紙10:14~33 (2005-08-07)
クリスチャンになると、自由が束縛される、と言うイメージがどうしてもつきまとう。 「あれは駄目、これも駄目」というふうに思われているし、排他的にも見られている。 だが、聖書はそんなことは言ってもいないし、クリスチャンとて然り、決して束縛もされていない。勿論、ある教派の場合...
chofuminami
2005年7月31日
■ 神の誠実、これをなしたまえり / マルコの福音書8:22~26 (2005-07-31)
イエスと弟子達ががベッサイダという村に来たとき、村人が目の見えない男を連れてきて頼んだ。「主よ、どうかこの男にさわってやってください!」イエスは男を人々から引き離し、彼にふれると、男の目は開き、生まれて初めて見る人間の姿は、「まるで歩く棒のようです」と言った。イエスは村に入...
新約聖書 / マルコの福音書
2005年7月24日
■ 蛇のように悟くあれ / マルコの福音書8:1~21 (2005-07-24)
二度目のパン記事が出てくる。いかに人々がイエスを慕い求めていたかが、伝わってくる。 皆、腹の空くのも忘れてイエスと彼の言葉に渇いていたのだろう。実に彼らにとって腹は二の次であった。現代の教会は食事が先、と言う印象が否めない・・(猛省)...
chofuminami
2005年7月17日
■ 開いていても見えない目 / マルコの福音書7:31~38 (2005-07-17)
ある日、イエスの前に耳が聞こえず、口のきけない人が連れて来られた。彼自身の世界は長い時間、小さな部屋に閉じ込められている状態だった。私達も言葉を語れることの恵みを失ったとしたらどうだろう。自分の心や気持ちを表現できないとしたら。しかし、彼の人生で最も素晴らしい日がやってきた...
chofuminami
2005年7月10日
■ 一生懸命の次 / マタイ15:21~28 (2005-07-10)
一生懸命は尊い。この言葉は多くの人から好感を持たれるし、憧れもある。しかし、こと信仰においては苦しい部分がある。確かに一生懸命は必要だが、これだけだと危険が伴うし、ややもすると道を踏み外すきっかけにもなる。出来れば、一生懸命から力がスッと抜けた位いが良いかも知れない。なにし...