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新約聖書/コリント人への手紙
2019年7月28日
■十字架のことばは神の力/Ⅰコリント1章17~21節
山の峰、若しくは水の水源地点となるべき場所に「分水嶺」(ぶんすいれい)という石碑が立てられている。 同じ場所、同じ時刻に降った雨にせよ、場所によって左右二つに分かれ、沢となり、川の源流支流となる。 大きく分ければ一方は日本海、別の雨水は太平洋へと流れくだる。...
新約聖書/ヨハネ福音書
2019年7月21日
■このことを信じるか?/ヨハネ11:20~27
搗(か)ちあう、という言葉。 物と物が突き当たるとか、肩と肩がぶつかるといったふうに使用される。 または重なる、という意味もある。 場合によっては、搗ちわない、かみ合わない会話という場合の表現もある。 イエスはベタニヤ村にあるラザロ、マルタ、マリヤの三兄妹の家にちょくちょく...
新約聖書第一コリント
2019年7月14日
■伴侶の十字架/Ⅰコリント7:10~16
33歳でクリスチャンになったとき、キリスト教の何が解っていたかというと、完璧に何ひとつ知る由もなかった。 その朝までは・・・。 だが、あの朝、イエスは私の心に立って下さって、言葉を掛け、話しかけられたのだ。 1978年3月12日の朝までは、聖書の何かに対して、関心も興味も好...
新約聖書/ヨハネ福音書
2019年7月7日
■神によって教えられる時代/ヨハネ6/41~45
私達日本人は大方に於いて、何ごともハッキリ決めつけるのは苦手なのかと思う。 つまり余裕というか、ぶれる分を多少残して置くことが好きな国民性、と感じる。 言いたいことは、多少曖昧、いい加減でもいいじゃん?・・かな。 こと外来宗教でもあるキリスト教は、相当はっきり確信を迫り来る...